深読みの淵

漫画とかを独断と妄想で語ります。

『ちーちゃんはちょっと足りない』を深読みする 第5.1章. 如月さんと奥島くんは何が足りないか

目次


はじめに

 本編の第1~5章では、千恵・ナツ・志恵・藤岡・旭という5人のメインキャラクターたちの『足りなさ』を掘り下げ、そこから作品全体の構造やテーマについて考えました。

 その結論の一つとして、誰もが何かの足りなさを抱えていると述べました。
 ということは、彼女たち以外のいわゆる『脇役』たちも、それぞれに足りなさを持っているのではないかと考えられます。そこで、その他の登場人物たちについても、各自の足りなさを考えてみることにします。
 とはいえ、かれらの描写は少なく、その内面を想像するには推測に頼る部分が大きくなります。本編ではまだある程度の根拠と理屈を示していたつもりですが、今回以降はさらに妄想に近いものになりますのでご了承ください。
 いわば本編のおまけのようなものとしてお読みいただければというつもりで、今章には5.1章と銘打っております。

 まず今章では、如月と奥島の足りなさについて考えていきます。
 ではいってみましょう。



0節. 如月さんと奥島くんは何が足りない?

 クラス委員長の奥島と副委員長の如月は、基本的に足りている側の人間として描かれています。テストの点数は「旭ちゃん並み」(p.81)つまり90点前後で、優しくて勉強を教えるのも上手く、家庭で教養を身に付けており(p.146)、お互いに恋人同士のように見えます。
 そんな2人は、何らかの足りなさを抱えているのでしょうか。もし足りなさがあるのなら、それはどういうものでしょうか。



1節.  2人に足りなさはある?

 この2人に関しては、作中で直接足りない部分が描写されていません。そもそも、感情や欲望をあまり露わにしておらず、真情が見えない印象があります。

 しかし、この2人も何らかの足りなさを持っているという暗示はあります。それが、ナツが第5話でこの2人を評した「ちーちゃんは教室掃除!  奥島くんと如月さんがいるから大丈夫だよね」(p.110)というセリフです。これは、千恵が一人で掃除だと心配だけど奥島と如月が一緒なら大丈夫だという信頼を述べた言葉です。
 これと同じ内容を、同じ第5話の冒頭で志恵が言っています。「まあナっちゃんが同じクラスだから大丈夫か」(p.101)というセリフです。千恵のことは心配だがナツと同じクラスなら大丈夫だろうという、ナツへの信頼を表しています。
 しかし、結果を見れば大丈夫ではありませんでした。千恵はナツの欲望に呼応してお金を盗んでしまいました。そこでナツが千恵を諭してお金を返させることができれば志恵の信頼に応えたと言えましたが、実際にはナツは、自身の金銭的な足りなさ、そして客観習慣の過剰という足りなさから来る渇望と正当化により、千恵の共犯になる道を選びました。志恵からナツへの信頼のセリフは、ナツがそれを裏切ることで、周囲から見えない足りなさを持っていることを強調するための前振りとして作用しています。
 ということは、ナツから奥島と如月に向けた同じ構図の信頼のセリフも、同じようにこの2人にも見えない足りなさがあることを暗に示していると受け取れます。
 実際、千恵はこの2人と一緒にいるはずの掃除の間に*1お金を盗んでいるので、ナツが期待した『大丈夫』ではなかったことは確かです。しかし、掃除の間中ずっと千恵を監視する義務がこの2人にあるわけではありませんし、結果的に千恵の盗みを見逃したからといってそれが落ち度や足りなさだとまでは言えません。志恵のセリフがナツの足りなさを前もって示すものだった以上、その反復であるナツのセリフで示された奥島と如月には、何か別の足りなさがあると考えられます。

 また、ナツから奥島と如月への信頼のセリフに、旭が「ナツはえらいあの2人をかってるな」(p.110)と返していることも、この2人が私たち読者に見えているほど満ち足りた存在ではないことを想像させます。
 作中の描写は多くがナツの視点からのものであり、ナツは自分と比べて他者の足りている部分を大きく見積もる癖があるため、私たちからもこの2人がことさらに多くを持っているように見えるのです。かれらが持っているものの多くを自分も持っている旭の視点*2からは、かれらもそれほど満ち足りた人間には見えていないのではないでしょうか。



2節.  2人は付き合っている?

 それでは、奥島と如月の足りなさとは具体的には何なのでしょうか。
 それを考えるために、この2人に関して、足りているように見えているナツとそうでもないように見えている旭で見解が分かれている点を思い出してみましょう。それは、この2人が付き合っているかどうかです。
 第2話で、ナツの「ねえ奥島くんと如月さんっていつも一緒にいない?」(p.30)という囁きに、旭は「さあ  委員長と副委員長だから仕事とかじゃねえの」と答えています。旭からは、特に2人が付き合っているようには見えていないのです。*3
 ナツもこの場では、「つきあってるのかな?」(同)と勘繰るに留めています。しかし、その後の第4話でナツは、奥島と如月と旭について「みんな恋人いるし」(p.82)と考えており、奥島と如月が付き合っているのを確実なこととして扱っています。
 ナツがこのように考える理由は、他者を自分より満ち足りているように見積もるという彼女の思考の癖にあると考えられます。ナツは、恋人がいる方がいないよりも優越しているという(実に一般的な)価値観を持っており、それゆえに、恋人がいない自分と比べて他人には恋人がいると想像し、劣等感を抱きがちなのです。
「つきあってるのかな?」の後に来るのが「成績いいし進んでて大人っぽいなあ」(p.30)であることや、「みんな恋人いるし」の後に「私なんか私なんか なんなんだろう」(p.82)と続くことが、如実にそれを示しています。
 つまり、奥島と如月が付き合っているように見えるのは、ナツの視点を通して見ているからそう見えるのです。実際には、水沢と交際していることがほぼ確定的に言及される旭と違って、奥島と如月が付き合っているという確実な描写は作中にありません。本当に2人が恋人同士なのかは『分からない』以上のことを断言できないのです。

 それでも、この2人が交際しているのかどうか、できるところまで推論してみたいと思います。
 まず、2人が付き合っているように見える理由を挙げてみましょう。その最たるものは、視点の多くを担うナツが2人の交際を確実視していることですが、これがナツの見え方の偏りに影響を受けているのは今述べた通りです。
 それ以外の根拠としては、ナツも言っているように、2人が「いつも一緒に」いることが挙げられます。奥島が如月と一緒でないのは千恵がナツの真似をして見せた1シーン(p.46‐48)のみ、如月が奥島といないのも旭や藤岡たちと女子グループで遊んでいた1シーン(p.201)だけで、その他の場面ではいつも2人でいます。*4  また、ナツたちと別れて如月と一緒に帰途に付く奥島の「じゃあ僕たちはこっちなんで」(p.34)というセリフは、以前にも一緒に帰っていることを示しています。その後の、2人で帰路に付く後ろ姿(p.35の1コマ目)も、恋人同士の雰囲気に見えるカットです。如月が奥島の肩口に手を置き、奥島が赤面して表情を緩める様は、2人の親密さを思わせます。
 これらを見るとやはり2人は付き合っているように見えますが、逆に付き合っていないことを示唆する描写もあります。ここではそのうち2点を挙げます。
 1つ目が、奥島の如月とナツに対する態度です。第2話で奥島が千恵の授業課題を手伝うと言った時(p.31)、如月とナツも付き合うと申し出ました。その時の奥島の反応は、如月に対して「えっ  いいよいいよ」、ナツに対して「あっ  いいよいいよ  小林さんまで」と、ほとんど変わりません。『小林さんまで』と付け足したのは、単にナツの方が後から申し出たからでしょう。それを言う時の奥島の様子も、焦ったように少し赤面して汗をかいており、如月にもナツにもほぼ同じ表情です。連続して隣り合った2コマでほぼ同じやり取りが反復されたということは、奥島は如月にもナツにも同じように対応するということを分かりやすく示していると言えます。
 もう1つ、2人が付き合っていないことを示唆する描写として、相手の呼び方があります。奥島が如月を何と呼んでいるかは分かりませんが、如月は奥島のことを『奥島っち』と呼んでいます。あだ名で呼んでいるという意味では、親しさの表現だと言えます。しかし、『名字+っち』という呼び方は、ちょっと距離を感じませんか?  単なる主観なのですが、よく知らない相手と距離を詰める時に付けるあだ名という印象があります。社交的な性格で、千恵に対しては『ちーちゃん』と呼ぶ如月は、もし付き合っていれば下の名前で呼ぶか、単に呼び捨てにしそうなものです。
 この2点から言えるのは、奥島と如月は少なくともナツたちの前では恋人同士のように振る舞っていないということです。
 ここから考えられる可能性は、2人は本当に付き合っていないか、あるいは付き合っているがそのことを隠しているかのどちらかです。
 こうなると、2人がいつも一緒にいたり、親密に接していたりといった事柄が、反転して付き合っていないことを示唆する材料として働きます。*5 付き合っていることを隠しているのなら、そういう分かりやすい行動を取らないだろうからです。
 とはいえ、付き合っているのを積極的に隠すつもりはないが、クラスでは照れくさいので普通の友達として接しているということもありえます。そこで、今章で検討したことも踏まえて、2人が交際している場合としていない場合の両方を考えながら、如月と奥島の足りなさについて順番に推論していくことにします。



3節.  如月さんは何が足りない?

 まずは、如月の足りなさについて考えていこうと思います。

 ナツから見ると交際しているのが当然のように見えた如月と奥島ですが、客観的な描写から見ると付き合っていない可能性も高いのが分かってきました。そこで、まずかれらが恋人同士ではないとするとどういうことになるか考えましょう。
 その場合、2人はただ委員が同じで仲のいい友達同士で、お互いに恋愛的な意識は持っていないのでしょうか。
 それもちょっと考えづらいです。なぜなら、如月が奥島に好意を持っていることは、わりと露骨に示されているからです。その1つは、さっき述べたボディタッチの描写です。如月の方から奥島の肩に触れています(p.35の1コマ目)。*6
 もう1つ好意が表現される場面として、奥島が千恵の課題を手伝うと言った時の如月の反応(p.31)があります。まず「奥島っち優しい!  さすが選ばれし委員長」と言いながら、さりげなく奥島の肩に手を添えます。冗談めかしながらも好意を最大限に伝えようとしています。その後に、「副委員長として私も手伝わざるをえまへんなあ」と、やはりおどけながら自分も奥島と一緒にいる理由付けをしています。確かに如月は感情表現が大げさな方ですが、ここまでわざとらしくおどけて見せるセリフはあまりありません。ここでの変なテンションは、如月が奥島を強く意識していることと、それを奥島に伝えておらず距離を測っている状態を想像させます。
 また同時に、これらのセリフには千恵への牽制という面もあります。『優しい委員長』だからという理由付けをして奥島の千恵への好意が特別なものでないと注釈し、『副委員長として』とわざわざ理由付けをして同席し奥島と千恵が一対一になるのを防いでいます。如月は「ちーちゃんをあやしてくれるなんて」(p.170)というセリフで分かるように、旭や藤岡たちと同様に基本的に千恵を子供扱いしています。そんな千恵の世話を焼くという形であっても、奥島がクラスの女子と2人きりになるのが嫌だと思っているのです。この独占欲は好意の大きさの表れであると同時に、余裕のなさを示すものでもあり、如月が奥島と付き合っていないことを示唆する傍証の1つだとも言えるでしょう。
 それでは、これほど分かりやすく好意を向けられている奥島の側は、如月にどう接しているでしょうか。これが実は、如月に特別な感情を向ける描写がないのです。むしろ他の人と変わらない接し方をしていることは、如月とナツに同じように対応しているシーンで見た通りです。もちろん2人は一緒にいることが多いので、奥島が如月に対して親しみを抱いているのは確かです。しかし、彼は女子3~4人の中に男子一人でクラスで昼食を取ることに全く気後れしないばかりか、自らその状況を作る(p.144)強者です。*7  男子中学生としてはかなり達観しているか、あるいは逆に男女間の付き合いについて小学校低学年程度の感覚で止まっているかのどちらかでしょう。*8 一緒に行動していることを理由に恋愛感情があると推測するのは早計だと言えます。
 このように、奥島と如月の間には感情の非対称性があります。有り体に言えば、描かれている範囲では如月から奥島への片思いなのです。だとすれば、それこそが如月の足りなさだということになります。奥島が好きなのに自分だけに特別に好意を返してもらえない、それが作中で描かれる如月の不足です。

 以上のように、如月と奥島が交際していないことを匂わせる描写はいくつもあります。しかし、あくまで状況証拠であり、確定する材料ではありません。なので、2人が付き合っており、それをクラスメイトにあえて言っていないと仮定した場合、どういうことになるかも考えてみましょう。
 といっても、その場合も見えている状況はあまり変わりません。如月の言動の意味するところにほとんど変化がないからです。付き合っていると仮定しても、如月が明示せずされど分かりやすく奥島への好意を示し、千恵を牽制しようとしているのは同じことです。
 つまり、如月は自分だけに特別に構ってほしいし他の女子と2人にならないでほしいと望んでいるが、奥島はそのように行動していないということです。如月と奥島のお互いへの接し方の差を考えると、如月は交際をオープンにしたがっているが、奥島はそれを望んでいないということも考えられます。如月の態度からして、それらの望みを相手にはっきり伝えられておらず、奥島はそれを察してくれないという可能性が高いと思います。
 結局如月の足りなさは、付き合っていると仮定したとしても、奥島が自分の気持ちに相応の行動で応えてくれないということなのです。

 ここまでをまとめると、2人が恋人同士だとしてもそうでないとしても、『自分が向けた好意に対して奥島が望むものを返してくれない』ことが如月の足りなさです。



4節.  奥島くんは何が足りない?

 ということは、作中で描かれている奥島の不足は、言動のレベルでは『如月の好意に望ましい形で応えないこと』だということになります。良識があり優しく賢い奥島が、なぜ如月との関係においては望まれている行動を返してやれないのか。その原因が奥島というキャラクターの足りなさだと考えられます。
 奥島に関しても如月と同様に、①如月と付き合っている  ②付き合っていない、の両方の場合が考えられます。同時に、如月が自分に向ける感情を奥島が分かっているかどうかは、A.気付いていない  B.気付いている  C.如月本人から告げられている、の3パターンが考えられます。この2つの要素の組み合わせで場合分けして、それぞれのパターンでの奥島の足りなさはどうなるかを考えていきます。

①ーA. 如月と付き合っていて如月の望みに気付いていない場合
 交際相手の如月は『私という恋人がいる以上は他の女子とあまり親密にしないでほしいし、クラスでも付き合っていることをオープンにしたい』と思っているが、奥島はそれに気付いておらず、汲み取ってやれていないというパターンです。
 この場合奥島に足りていないのは、『常識的な気遣い』だと思います。彼女いるんだから不安にさせないように気ぃ遣ってやれや、分かんだろ、という話です。
 これはわりと幼さがあって素朴な奥島観ですね。まあ、中2の男子の意識なんてそんなもんだろ、という気もします。

①ーB. 如月と付き合っていて如月の望みに気付いている場合
 如月の不満・不安・嫉妬に感付いてはいるが、あえて見ないふりをしているという状況です。
 付き合ったからといって行動を束縛されるのが嫌なのか、あるいは付き合っていることを知られるのが恥ずかしいという思いが強いのか、いずれにしろ『直接言われてないのだから自分が何か変える必要はない』と思っているパターンでしょう。相手の気持ちをとりあえず聞いてみればいいのに。
 これは穏やかな笑顔の裏に不穏なものを想像する奥島の見方です。この場合、『善意と素直さ』が足りないと言えます。

①ーC. 如月と付き合っていて直接望みを聞いている場合
 如月から『教室でも恋人として接したい、それとあんまり他の女子と2人になったりしないで』と伝えられているが、それに逆らっているパターンです。
 これは不穏というよりは、とことん頑固だと言えるでしょう。『付き合ってもこれまでの行動は変えないし、クラス委員長として個人として、必要ならば女子に対しての手助けもする』という姿勢だと思います。
 足りないのは『融通』だと言えるでしょう。

②ーA. 如月と付き合っていなくて如月の好意に気付いていない場合
 如月から向けられている好意にそもそも気付いていないパターンです。
 決定的に鈍いです。足りなさ=『鈍感さ』です。
 ただ、諸々の描写を総合すると、このパターンが一番可能性が高いように思えてしまうのが困ったものです。

②ーB. 如月と付き合っていないが如月の好意には気付いている場合
 如月が自分に好意を持っていることに感付いてはいるが、あえて自分からアクションは起こさずにただ一緒にいるパターンです。
 如月を恋愛対象としては見ていないのか、今が楽なので恋愛関係になるのが怖いのか、告ってきたら付き合うのもアリだけど自分から行く気にはならないのか、あるいは精神的に優位に立っている現状が心地よいのか。いずれにしろ、奥島には『情け』が足りません。
 ①ーBもそうなんですが、察していながら汲んでやらないというパターンを仮定すると、やはり奥島の黒い部分を想像することになりますね。お金を盗んだ千恵にドン引きするところ(p.155)を見ると道徳規範はしっかり持ってそうなので、あんまり不穏な奥島観は現実的ではない気はします。ただ、人間関係に関しては倫理基準が常識とかけ離れていたとしても不思議でない程度には、奥島の内面はちょっと推し量りにくい印象があります。

②ーC. 如月と付き合っていないが好意を直接伝えられている場合
 つまり、一回告られたけど断ったパターンです。告白してきた如月に対して、何らかの理由で『付き合えない』と言ったけど、如月の『前と同じように友達でいたい』という言葉を受け入れたか、あるいは奥島から『まずは友達という距離で』と言った上で関係性が続いていると考えられます。
 まあ、なかなかなさそうなパターンだと思います。しかしこれだと仮定すると、お前はさぁ···という気持ちになりますね。いくら言葉で普通の友達としてって言ったとしてもさ、あんだけべったり一緒にいた上で他の女子と2人になるのを目の前でほのめかすとか、もうちょい考えろよ、って話です。この場合足りないのは、①ーAと同じく『常識的な気遣い』です。
 繰り返しますが、このパターンはさすがにないと思います。ほぼ奥島の陰口になりましたが、場合分けしたら出てきたので仕方なく言っただけですので。

 以上のように、奥島の状況と心理は複数のパターンが考えられ、それに応じて想像される足りなさも変わります。各場合について書いたように、ありそう・なさそうという可能性の差はありますが、いずれが正しい理解なのかは作中で描かれていない以上確定しません。

 これほどに奥島の足りなさが絞れないのは、やはり彼の内面が掴みづらいところに一因があります。本作の登場人物には不足している部分と充足している部分が合わさった重層性があるというのは本編で指摘しましたが、奥島は例外的に内包した足りなさが見えないのです。
 そこまで親しかったわけではない千恵に勉強を教えて世話を焼く*9ほど親切ですし、旭が勉強に関して千恵を「バカ」と形容した時の「そんなことないよ  小学校の基礎をとばしちゃっただけで」(p.151)という返し方は、完全に大人の教育者側の語法です。女子との交流を特に意識せずに行っていることも含め、実年齢よりもかなり精神的に成熟していると思います。そんなふうに大人びて良識のある人格者であり、内面的な足りなさが見えないからこそ、如月との関係性に見え隠れする外面的な足りなさの根源をどこに求めたらいいか判断がつかないのです。
 抽象的な話ですが、奥島というキャラクターのそういう真意の見えなさ・得体の知れなさ自体に、親しい女子から好意を寄せられてもそれに応えず、そもそも気付いているのかどうかも分からないという振る舞いと一致するものを感じます。そういう感覚的な部分では奥島の人格的な足りなさの輪郭をなんとなく思い浮かべることができますが、あくまでイメージの話の域を出ず、決定的なことを言うには描写が足りていないのは繰り返している通りです。



5節.  結論・2人の足りなさ

 以上のように作中では、如月の足りなさは奥島の存在に由来するものであり、その如月の足りなさに対応して奥島の足りなさが垣間見えるのです。描写上2人セットになっていることが多いかれらは、描かれる足りなさも一対になっていると言えるでしょう。
 具体的には、如月の足りなさは『奥島に好意を向けているのに、望ましいものを返してもらえない』ことです。そして奥島は表面に出ているのが『如月の好意に望ましい応え方をしていない』という言動レベルの足りなさであり、それを引き起こす何らかの不足・逸脱が人間関係を築く際の内的な部分に存在するとほのめかされています。
 特に奥島に関しては曖昧な部分が多いですが、今章のまとめとして言えることはこのくらいだと思います。



6節.  蛇足・如月さんとナっちゃんの共通点

 この節はさらなる余談であり、砂上の楼閣の屋根に五重塔を建て増しするような空想だと思って読んでください。
 今節の話題は、第3章の1節で言及した、ナツだけでなく如月も千恵のことを『ちーちゃん』と呼ぶという事実に関してです。タイトルにもなっているこの呼び方をナツと如月のみが共有しているということは、この2人の間に何らかの共通点があることを暗示しているのではないか、というのがここでの趣旨です。
 作中で描かれる限り多くを持っているように見える如月ですが、足りなさに苛まれ続けるナツと共通する部分はあるのでしょうか。あるとすれば、それはいったい何なのでしょうか。

 千恵の呼び名の共有によってそれが示唆されているのならば、共通点は千恵との関係性にあると考えられます。
 ナツにとっての千恵の位置付けは、第2章5節で見たように、自分と同等の相手です。自分と同じように足りていない人間として見ています。実際には自分より千恵の方が不足しているところについても、その差を見ずに足りなさを共有する『私たち』として同一視しています。作中で発される『ちーちゃん』という言葉のほとんどがナツの口から出る以上、その呼称に重ねられているのは、このような自分と同等に見なす視線だと言えます。
 これに対して、如月にとっての千恵の位置付けは一見全く違うように思えます。如月は千恵に対して『あやす』という言葉を使っており(p.170)、千恵を子供扱いしています。その意味で如月は、旭や藤岡や志恵などと同じく千恵を庇護・教育の対象として見ており、ナツのように同等の相手として見てはいないように思われます。加えて、如月はナツと比べても充足している側におり、千恵と自分が同じように足りていないという感じ方はしないだろうと思えます。
 しかしここで、如月も足りなさを抱えていることを思い出してみましょう。『奥島に好意を向けても望ましいものを返してもらえない』という足りなさです。そして実は、これと同じ不足を千恵も持っています。
 第2話で千恵は奥島のことを「すき」(p.36)だと言い、奥島にもてる方法を考えて実践しますが、その手段は的外れなもので奥島からの接し方が変わることはありませんでした。好意から奥島に向けた言動に望ましい反応が返ってこなかったわけで、如月の足りない現状と全く同じことが起こっています。
 そして何より、如月自身が千恵を自分と同じく奥島にアプローチし得る、いわばライバルと見なしています。だからこそ千恵を牽制する発言をし、奥島と2人になるのを防いだのです。その結果2人きりにならず如月とナツが同席したことは、如月にとっては妨害の成功ですが、千恵にとっては奥島への接近の失敗だったと如月視点では見えているはずです。*10
 結局、客観的にも如月の主観でも、千恵は奥島に関して如月と同じ足りなさを持っているのです。つまり如月にとって千恵は、奥島との関係性においてのみ同等の相手なのです。
 よって、千恵を同等の足りなさを持った相手と見なしているという点で、如月とナツの共通項が成立します。
 ただし、奥島は千恵を恋愛対象として見てはおらず、教え育てる対象として完全に子供扱いしているのが実際のところでしょう。ボディタッチを受けて頬を赤らめる程度には意識されている(あるいはすでに付き合っているかもしれない)如月とは、恋愛的な距離では相当な差があります。それでも如月は千恵を警戒しており、あくまで如月の中では千恵は同等の存在なのです。このことは、自分が千恵より充足していることを無視して同一視するナツの認識と同じ構造であり、千恵への視線における如月とナツの共通性を補強するものです。
 このように如月は、同等の足りなさを持つ存在として見なすという、千恵への視線がナツと共通しています。それゆえに、『千恵』でも『ちー』でも『南山さん』でも『チビ』でもなく、『ちーちゃん』というナツと共通する呼称で千恵を呼ぶのです。



おわりに

 ここまで読んでいただいてありがとうございます。
 ほんとは残りのサブキャラ全部まとめて一つの記事にするつもりだったんですが、長くなったので如月と奥島だけで一記事にしました。

 結果的に、いい歳の大人が長文で中学生の男女が付き合っているかどうかを延々と勘繰り、言動を恋愛面からネチネチと論評するという、大変ひどいことになりました。書きながら自分の下衆さ加減に昏い悦びを覚えたほどです。
 内容的にも、如月はやたらドロドロした嫉妬や情念を秘めている解釈になり、奥島は何か底知れない闇を抱えていることをほのめかしただけに終わりました。如月さんと奥島くんのファンの方々には本当に申し訳ないと思っています。ただ、本文中でも何度も言い訳しましたが、この2人は本当に内面が想像できる描写が少ないんです。千恵やナツのように足りないのが見えてるキャラなら足りなさを掘り下げつつ良い面も見出だしてフォローできるのですが、如月や奥島のように作中で失点のない優秀な善人は、どうしても悪い方へ悪い方へ考えて足りなさを想像してしまいますね。
 あと、奥島と如月付き合ってるのか問題については、さりげなくも解釈が分かれる描写がいくつもあると思うので、ぜひみなさんの解釈も聞いてみたいなと思っております。

 さて、次回は第5.2章です。次章で脇役たちも含めて各登場人物の掘り下げは完結する予定です。
 残るキャラクターは宮沢と野村です。彼女たちに加えて、ナツの母親についても考えてみる予定です。あとは、もしかしたら水沢先輩にも言及するかもしれません。
 次回第5.2章はこちらです。

 またよろしくお願いします。




脚注(余談)

*1:【掃除の間に】
 この時、千恵がどのような状況でお金を盗んだのかは、わりと謎になっている部分です。明らかなのは、千恵・奥島・如月が教室掃除をすることになっていたこと(p.110)、千恵は教室でおそらく宮沢の机の中からお金を盗んだこと(p.111)、千恵・奥島・如月は飼育小屋を掃除したこと(p.119)、の3点です。教室掃除の当番だったのが飼育小屋に変更になったのか、教室に加えて飼育小屋の掃除も担任から命じられたのか、教室掃除後にクラス委員の仕事か自主的な行動として奥島と如月が飼育小屋の掃除に行ったのを千恵が手伝ったのか、その辺りは分かりません。(ただ、ナツが「あいかわらずあの2人はイイ人だな」(p.120)と言っているのは、3つ目だと解釈しているのかもしれません。)よって、教室掃除中に千恵が一人になるタイミングがあったのか、それとも近くにいる2人の目を盗んだのか、あるいは2人が先に飼育小屋に行ってから千恵がお金を盗んで後を追ったのか、窃盗の状況も判然としません。そのため、たまたま掃除中に宮沢の机に封筒を見付けて出来心を起こしたのか、教室に一人になった時にお金のことを思い出したのか、もしくは宮沢と藤岡の会話を聞いた時から盗むチャンスを狙っていたのか、千恵の『悪意の度合い』も私たちには分からないのです。
 いずれにしろこの謎は、千恵が一人の時の描写がないに等しいことから来ています。そのことによって私たちは、世界が一瞬で豹変するナツの感覚にぴったりと同期できるのです。

*2:【旭の視点】
 ただし、旭から見た奥島と如月は、千恵の世話をする姉という自分(とナツ)の役割に割り込んでくる相手として見えていたことは、第5章で見た通りです。なので、旭からこの2人への評価は客観的なものより低くなっていることも考えられます。特にこの場面は、『この2人がいるから千恵は大丈夫』というナツの言葉への返答なので、余計に対抗心が働いているでしょう。ナツが奥島と如月を高く評価しがちなのと裏腹に、旭はかれらを低く見積もる方向に偏っているのです。ナツの視点にいびつさがあるからといって旭の視点が正しいとも言えない、この作品の相対性・重層性の表出の一つです。

*3:【旭からは】
 ただしここでも、旭の視点と発言にバイアスがかかっていないとは言えません。まず第5章で見た通り、旭はこの2人にさほど関心を向けていません。また、他人の噂話を好むタイプでもなさそうです。(どちらかと言えば、他人への評価は面と向かって本人に言ってしまうタイプです。)さらに、自分が水沢と交際していることを特に隠すわけでもないのにナツに言っていないことから、いわゆる恋話が好きな方でもないと想像できます。
 あるいは、旭の内面は描写されないので、2人が付き合っていると思っているか知っていながらも、あえて言及しないようにしているという可能性も否定できません。

*4:【いつも2人で】
 これについて気になるのは、昼食を取る時の組み合わせです。p.144では、ナツが欠席していた前日に千恵が奥島と如月と旭と4人で昼ご飯を食べたことが語られ、この日も奥島たちと一緒に食べます。これをナツが「変なメンツ」(p.145)と捉えており、それ以前にナツが千恵・旭と3人で昼食を取る場面(p.17‐)があるので、ナツが休んだ日より前には奥島と如月は一緒に食べていなかったことが分かります。
 これを素直に受け取れば、この2人はユニットで動いており、この時までは2人だけで昼食を食べていたと想像されます。もしそうだとすれば、2人が付き合っているというナツの勘繰りは無理もないと言えますし、一緒にいるのは仕事とかだろうと言う旭はこの2人に関心が無さすぎだと思います。しかしその場合、いつも男女2人で食事していたのに急に他の女子グループに合流しようという話になり、奥島が率先して混ぜてもらいに行ったということになります。付き合っていたとしたら、それはそれでどうなんだという話ではあります。
 ただしいずれにしろ、実際に2人が以前は誰と昼食を食べていたか、ナツが休んだ日にどういう経緯があったのかは、描写されていない以上は確定し得ないことです。

*5:【付き合っていないことを示唆】
 奥島と如月が付き合っていないことを示唆する描写は、メタ的な読みですが他にもあります。それは、如月がリボンを身に付けていないことです。
 ナツが「本当は男の子からもらうものなんだよ」(p.86)と言うように、リボンはもともと彼氏がいることを示すアイテムです。ナツが旭から水沢との交際について聞き出そうと水を向けた場面(p.83)で旭のカバンに付けたリボンがアップになるコマも、その関連性に基づいたものです。また、p.78の2コマ目にいるクラスメイトのうち、女子4人は全員リボンを付けており、「学校でリボン流行ってる」(p.86)ことが示されています。しかし同時に、答案を受け取っている右端の女子と会話の相手が見切れている左端の女子を除き、相手が分かる2人はどちらも男子と一対一で喋っています。さりげなくはありますが、リボンと男子との交際が関連することを踏まえた意図的な描写だと思います。
 このように、彼氏がいることがリボンで象徴されている中で、如月には私物のリボンを付けていたり持っていたりする描写がありません。これは、他の材料と合わせて、彼女が奥島と交際していないことを示唆する傍証と言えると思います。

*6:【肩に触れて】
 これは本当にどうでもいい話なんですが。このコマでは、如月の右手が奥島の左の二の腕に触れているわけですが、如月の親指が奥島の腕の輪郭の手前にあるのか、それとも奥にあるのかが、ちょうどどちらとも取れる描き方になっています。前者の場合、如月は五指を揃えた掌を奥島の肩の後ろから当てていることになり、後者の場合は、袖口もしくは腕本体を掴んでいることになります。どちらと捉えるかでタッチのニュアンスがかなり変わり、後者の方がより積極的な接触だと言えます。みなさんはどちらに見えますか?

*7:【男子一人で】
 奥島は女子グループの中に男子一人混じっており、脚注*4で見たように、以前から如月と2人で昼食を取っていた可能性もあります。その経緯が分からないので何とも言えませんが、もしも男子グループに入れないのであれば、そこに奥島の足りなさがあるのではと想像することもできます。中2男子らしからぬ達観したような穏やかさと利口さを持った彼ですから、もし同級生男子に馴染めなかったとしても、さもありなんといった印象はあります。ただし、奥島以外の男子生徒の描写はないに等しいので、この辺りはあくまで想像するほかありません。

*8:【男子中学生としては】
 いや、いないとは言いませんよ。男子一人でクラスの女子グループに混じって、イジられたり子供扱いされたりせず、かといってハーレムを築くわけでもなく、普通に友達の一員として屈託なく振る舞える男子中学生、世の中にはいると思います。ただ、私の中学時代のクラスにはいませんでしたし、あまり一般的ではないだろうというのがここでの趣旨です。みなさんの中学時代はどうでしたか?

*9:【世話を焼く】
 千恵の席が最前列の教卓の真ん前であり、奥島の席がその隣という配置(p.143の1コマ目)を考えると、奥島が千恵の勉強の面倒を見ることは担任教員の意に沿ったものだと思われます。ただ、担任が明確に奥島に千恵の世話を依頼したかどうか、奥島がどこまで自主的に行動しているのかは分かりません。

*10:【千恵にとって】
 もちろん千恵自身は、奥島に勉強を教えてもらうことを接近するチャンスだなどという計算はしていないでしょう。独占欲を覚えるほど恋愛感情というものを理解していない可能性が高いと思います。そして、基本的に如月もそのことは感じ取っていると思います。それでも警戒し牽制せずにはいられない好意と執着が、如月の足りなさなのでしょう。