深読みの淵

漫画とかを独断と妄想で語ります。

用語解釈:文化英雄譚

 この記事は、映画『万引き家族』の感想の中で書いた「文化英雄譚」という用語の注釈が長くなったので、別記事として独立させたものです。

 用語に対する個人的な拡大解釈であることをご了承ください。
 文章の最後付近で、例示として複数の漫画などに触れます。『Dr.STONE』『正解するカド』『BLEACH』『寄生獣』『パンプキン・シザーズ』について多少のネタバレ要素を含み、特に『BLEACH』については20巻までの核心的な内容に触れるのでご注意ください。
 では内容に入ります。

 文化英雄とは、神話の研究で用いられる用語で、人類に有用な技術や知識をもたらしてその文化の発展に寄与した人物や神、動物などを指す言葉です。つまり文化英雄譚とは、文化英雄が技術や知識を人類に授けたその顛末の物語ということです。
 文化英雄譚の代表的なものは、人間が火を得る物語です。ギリシャ神話のプロメテウスが代表的ですが、アステカ神話ケツァルコアトルポリネシア神話のマウイなど、人間に火を与えた神とその過程についての物語は、世界各地に多種多様なものが伝わっています。火の使用こそがヒトを文明を持つ人間たらしめる大きな一歩だったことを現代の我々は知識として知っていますが、電気も金属器も持たずに野の獣たちと争って生き延びていた祖先たちは、火こそが自分たちの特異な強みであることを強く実感していたに違いありません。火の起源についての物語は、自分たちヒトという種族が獣と違う特別な存在であるという、根元的な自己肯定の理由付けなわけで、それぞれの共同体の人々がそれぞれに力を込めて想像力の翼を羽ばたかせたのでしょう。
 火の使用の他には、農耕の開始も文化英雄譚の定型の一つです。これもまた重大な歴史的転換の一つですからね。例えば、先ほど火をもたらした神として例に挙げたアステカのケツァルコアトルは、農耕を人類に授けた神でもあり、多面的な文化英雄です。また、古代中国の伝説の皇帝であり神である神農も、名の通り人々に農耕を教えたとされています。神農もまた同時に医術・博物学市場経済を広めた多面的な文化英雄であり、多くの植物の薬効や毒性を自分の身体で試して医療の発展に努めた末、蓄積した毒で中毒死したという凄まじい逸話を持ちます。
 他には、貴種流離譚の英雄であるスサノオも、和歌の創始者とされており、文化英雄としての側面を持っています。

 人類には、様々な民族・文明・都市・集落といった共同体があり、それぞれに違う文化があります。その文化の内容には、火の使用のような根元的知識から、農耕・牧畜・狩猟・採集・漁労のような食料の獲得手段、住居や集落の造築、衣服や装飾品をはじめあらゆる道具の作製、食物の加工、言語、文字、共同体を運営する上での多種多様なルール、祭祀と神話、物の交換や貨幣経済、軍事、医療、移動や運搬の手段、文学に音楽、娯楽に至るまで、ありとあらゆる物事が含まれるのです。当然そのそれぞれにどこかで始まりがあったわけで、文化英雄譚というのは、どこにでもありふれていていくらでも創造できる昔話だということです。
 ということは、実際の歴史上にもたくさんの文化英雄譚が存在するということです。歴史上で最も普遍的な文化英雄のパターンは越境者です。移動生活者や亡命者、国使や留学生、あるいは布教者や侵略者など、国境や地理的な隔たりを越えて活動した人々は、それぞれの地に元々なかった文化をもたらしました。
 日本の歴史に限っても、古代の渡来人や戦国時代以降の宣教師、明治維新の時期に日本に入って近代化に貢献した西洋人など、外から文化を運んできた人々が繰り返し登場するわけです。遣隋使や遣唐使、遣欧使節団などの遣使団は、国の要請によって作られた文化英雄だと言えましょう。むろん、世界に目を向ければ、規模や形式を問わず文化の交流という出来事は数限りなく起こってきたはずです。あらゆる地域であらゆる形の文化英雄が誕生したでしょう。
 時代が下ると、文化の移入者ではなく創造者として名を残す実在の文化英雄が数を増します。科学者や発明家という部類の人々です。近代科学の礎を成したニュートン蒸気機関の制作と実用化に寄与して産業革命を拓いたセイヴァリ、ニューコメン、ワットたちや、様々な技術革新を起こしたエジソンなどは、まさしく文化英雄だと言えます。また、社会契約や国民主権といった思想を推し進めて啓蒙したロックやルソーなどの政治哲学者にも、近代社会のあり方を導いたという意味で文化英雄の属性を見ることができます。

 ちなみに、文化英雄というキャラクター類型に属する物語の登場人物は、トリックスターという属性を併せ持っていることが多いとされます。トリックスターとは、善と悪、智者と愚者、破壊と創造といった二面性を持ち、停滞と秩序を撹乱して物語を展開させる役割を持ったキャラクター類型です。好き勝手に単独行動してストーリーを引っかき回すタイプのキャラと言えば、なんとなくイメージが湧くのではないでしょうか。先ほど例に挙げたスサノオやマウイなどは、トリックスター型の神格の代表例でもあります。
 これは当然の話で、文化を持ち込むにしろ創造するにしろ新しく共同体にもたらすことは、それまでの文化やシステムを変革したり破壊したりすることと表裏一体なわけです。その二面性を文化英雄が引き受けるのは自然なことです。
 例えば、侵略者の到来という災難に伴って新しい文化が流入するというのは、歴史上にありふれた出来事ですね。日本史では、幕末に欧米の国と戦争を行った薩摩藩長州藩が、その技術力を察していち早く取り入れに動き、江戸幕府を倒す力としたことが有名です。
 あるいは、技術革新によって廃れる産業分野と失業者が出るのも繰り返されてきたことです。石油の普及によるエネルギー革命で炭鉱が閉山されていったのは代表例でしょう。新しく開発された当初のミシン工場が、失業を恐れた仕立て屋によって焼き討ちされた逸話も象徴的です。
 さらに言えば、臓器移植や体外受精、クローンといった生命科学は、現行の倫理規範や法システムを揺さぶり続けています。

 さて、大幅に話が逸れましたが、文化英雄譚という物語構造もまた、現代の創作の中に息づいています。
 過去にタイムスリップしたり異世界に転移する形式のストーリーでは、主人公が現代科学の知識を用いて現地の住民を驚嘆させるという展開はもはやお約束と呼べるほど一般的ですが、これこそ文化英雄譚ですね。『Dr.STONE』(稲垣理一郎Boichi)は極限まで濃縮した文化英雄譚というわけです。また、『正解するカド』(東映アニメーション)は文化英雄譚をそっくり逆転させたものだと言えます。
 主人公以外では、二面性のあるトリックスター型の文化英雄として、マッド味のある科学者や技術者といったキャラがいますね。例えば『BLEACH』(久保帯人)の浦原喜助は、主人公側でありながら藍染と並ぶもう一人の元凶であり、新しい技術と物語の開始点を作り出した善意の黒幕とでも言うべきキャラです。あるいは、『寄生獣』(岩明均)の田村玲子は、パラサイト側にとっては数々の新しいものをもたらした文化英雄と言えるでしょう。『パンプキン・シザーズ』(岩永亮太郎)に至っては、カウプランという究極的な文化英雄の存在が物語世界の根底にあります。
 あるいは、作中の現状を過去に用意した人物、『守り人』シリーズ(上橋菜穂子)の初代聖導師カイナン・ナナイや、『刻刻』(堀尾省太)の真純実愛会創始者などは、本来の意味での文化英雄と言えましょう。

 現実に対しても物語の中に対しても、「今ある世界がなぜこのような状態であるのか」を理解したいという欲望は、私たちが普遍的に持っているものです。それに対する説明に人格を付随させて飲み込みやすくしたものが文化英雄だと言えます。いわば文化英雄は、一神教の創造神を分割して世界にちりばめたものだと言えるかもしれません。