深読みの淵

漫画とかを独断と妄想で語ります。

『ちーちゃんはちょっと足りない』を深読みする 第5.2章. 他のみんなは何が足りないか

目次


はじめに

 前回5.1章では、如月と奥島の足りなさを考えました。

 この5.2章では、残る登場人物たちについて掘り下げていこうと思います。
 まだ触れていないキャラクターと言えば、藤岡の取り巻きの宮沢と野村ですね。また、キャラクターと言えるかは微妙ですが、ナツの母親についても考えてみます。さらに、おまけのおまけ程度に旭の彼氏の水沢先輩にも触れます。
 いよいよ描写されている部分が少ない登場人物たちですが、かれらの足りなさは何なのでしょうか。
 
 1節では宮沢、2節では野村、3節で水沢、4節でナツの母について考えます。
 ではいってみましょう。



1節.  宮沢さんは何が足りない?

 まずは、宮沢の足りなさについて考えてみます。
 宮沢と言えば、千恵にお金を盗まれた直接の被害者なので、本来なら千恵の物語で重要な登場人物であるはずです。しかし彼女は、メインキャラと言うにはどうにも影が薄いです。
 視点の多くを占めるナツにとって、また多くの読者にとっても、『藤岡の取り巻きその1』という印象が強いと思います。実際、宮沢の被害者としての立ち位置が弱いのも、盗難事件への対応を藤岡が率先して担っていることが大きいです。そして、千恵の物語においてもナツの私小説においても、主要な役割を持つのは藤岡であり、宮沢は副次的な位置に留まることは、本編の第5章4節と第3章6節でそれぞれ見た通りです。
 このように、他の登場人物や読者からは、宮沢は主となる藤岡に対して従となる位置にいるように見えているのです。そして、宮沢自身もその位置にいることを望んでいるように見えます。
 宮沢の個性として明らかなのは、『藤岡のことが大好き*1』という部分です。バスケ部員のために、また家族のために、身を削って貢献する藤岡の姿を旭に説いたのは宮沢です(p.166, 172)。盗難のことに藤岡は関係ないだろうと言った旭に「関係あるよ!」と反論し、藤岡がお金を出してくれたことを敢然と言い募る場面(p.165‐166)が、宮沢という登場人物のハイライトだと思います。また、旭と藤岡たちが休日に遊んでいる一コマ(p.201)で、楽しげな藤岡の顔を嬉しそうに見上げる宮沢の表情・構図を見ても、*2宮沢が藤岡を深く慕っていることは強調して表されていると言えるでしょう。*3

 そう考えると、宮沢が藤岡からお金を徴収する場面の会話にも秘められた感情が見えてきます。藤岡は自分で言うようにバスケ部では完全に幽霊部員であり、公的な部費でもない顧問のプレゼント代など、出さなくても本来全く問題はないはずです。それでも宮沢が藤岡から徴収しようとした理由は、「藤岡も一応女バスなんだから」(p.106)というセリフに全て表れていると思います。家庭の事情で参加できなくなっても藤岡は部活の仲間であり、遠慮して除外せずに部員として扱うべきだという、宮沢なりの義理の立て方でしょう。同じコマの野村はあまり納得していなそうな顔で宮沢を見ているので、藤岡からも徴収すべきというのは宮沢の意見だと思われます。誰よりも宮沢が、藤岡が家族のために部活に来られないことに割り切れない思いを抱いていることが分かります。
 しかし、宮沢が部員として扱ったことで、藤岡には金銭の負担が掛かっています。それも、詳しい経緯は分かりませんが2人分のお金を出すことになっています。宮沢の善意が空回りしたとは言いませんが、結果的に想定した以上の負担を掛けることになったのです。
 これと同じ構図の出来事は他にもあります。藤岡がお金を出していることを宮沢が旭に説明した後に付け足した「その1000円は藤岡のだからね!」(p.166)というセリフです。これは、藤岡は無関係だという旭の発言への反論として『千恵が返せない1000円は藤岡が出したものでもある』という意図で発されたものです。藤岡が誤解されるのが我慢ならなかったのでしょう。これは、実際にその1000円が藤岡の所有物だという意味ではありません。千恵が盗んだ時点で3000円は宮沢が集めて保管していたものであり、その中のどの1000円が誰のものだったかなど区別できません。よって、本来なら宮沢の責任の下に千恵にきっちり全額を返させなければならなかったはずです。しかし、藤岡はそのような形で摩擦が長引くことを望みませんでしたし、その場で千恵に許しを与えた上で教え導こうとしました。そのために、『その1000円は藤岡の』という言葉を『その1000円は藤岡に裁量権がある』と読み換え、自分が1000円を千恵に譲渡するという形でその場を収めました。この一種の詭弁により、藤岡は千恵を救うと同時に、宮沢が抱えなければならない面倒事をも潰したわけです。そういう手段を取ったことは藤岡自身の選択です。しかし、藤岡を誤解から守りたい一心で発した宮沢の言葉が、藤岡が負担を引き受ける*4きっかけとなったのは事実です。
 さらに、宮沢が意識せずに藤岡に負担を掛けようとしている場面がもう一つあります。宮沢たちと旭が揉めているところに藤岡が来て、一触即発の空気が流れる場面(p.116)です。ここでの宮沢は、「あっ藤岡!  旭さんがいきなり暴力ふるってきて」と報告し、藤岡の「お前  けっこうこいてるよなあ」という旭への威圧に応えて「どうする?」とお伺いを立てます。発言が完全に三下です。旭に近付いていく藤岡を見る(p.116の5コマ目)時など、悪い小者の顔になってしまっています。発言も表情も、明らかに藤岡が旭にやり返してくれることを期待しています。とはいえ、宮沢が特に好戦的なわけではなく、旭が千恵に掴みかかった時に「ちょっとちょっと 落ち着いてよ  泣いてるじゃない」(p.160)と割って入る姿を見れば、普段は穏健派なのが分かります。逆に言えば、いつもは喧嘩などするタイプでないからこそ、旭に胸ぐらを掴んで怒鳴られた(p.114)ことで強く動揺したのでしょう。だからこそ、信頼を寄せる藤岡が現れたことで安心し、トラブルの解決を藤岡に頼る気持ちになってしまったと思われます。しかし、ここでもし藤岡が実力行使に出たとしたら、事が大きくなった時に処罰されるのは藤岡です。そこまで具体的に期待していなかったとしても、『暴力ふるってきて』という完全に嘘ではないが角の立つ報告をした時点で、藤岡を積極的にトラブルに巻き込む形になっていることを宮沢は気付いてもよかったと思います。
 以上のように、宮沢は藤岡に強い仲間意識と信頼を抱いています。それゆえに、常に藤岡を立てようとしますが、それが過剰に頼ることに繋がり、藤岡に予期せぬ負担を掛けてしまうことがあるのです。

 そもそも、宮沢は藤岡を常に上に見ている節があります。
 それも無理はないでしょう。藤岡は家業の手伝いと妹たちの世話を抱えて多忙な状態で、それでも部内で一番バスケが上手かったのです(p.172)。間近で見ていた宮沢からすれば、その時点で特別な尊敬の対象になって当然です。その上さらに、祖母の介護まで引き受けて部活に来られなくなったのです。宮沢は自分事ではないながらも、やるせない思いを抱え、藤岡が少しでも幸せであってほしいという祈りも抱いたでしょう。同時に、自分よりも責任を負った大人として藤岡を見上げたはずです。*5
 そして藤岡は、実際に宮沢よりも大人です。同級生の誰よりも優しく聡明で、問題解決能力に秀でています。宮沢が知らず知らずのうちに藤岡に負担を掛けてしまった先の3つの事例でも、宮沢が期待した以上にスマートにその場を収めています。宮沢が半ば依存に近く見えるほど絶大な信頼を藤岡に寄せるのも、むべなるかなと言えます。
 しかし、藤岡にとっては、そのように宮沢から頼られ見上げられているのは、あまり望ましいことではありません。第4章で述べましたが、姉として大人として振る舞わざるを得ないことは、藤岡にとっての足りなさです。宮沢に頼られることは大人としての態度を求められることであり、それは進んで果たしたい役目ではないでしょう。藤岡も自身が宮沢たちより大人なのは自覚しており、現在の関係性も決して嫌がってはいないでしょうが、積極的に頼られる立場でいたいとは思っていないはずです。
 そういう藤岡の感覚が垣間見えるのが、宮沢と旭が揉めていた時の対応です。宮沢に「旭さんがいきなり暴力ふるってきて」(p.116)と言われた藤岡は旭を威圧しますが、お金がなくなったことを聞いて捜索を優先させ、その場を収めます。ここで考えてほしいのですが、友達が『いきなり暴力をふるわれた』と言ってきたら、まずどういうことをされたのか確認すると思いませんか?  殴られたのか蹴られたのかビンタされたのか、まだ痛むのか怪我をしたのか、そういった暴力の種類と程度が気になると思いますし、それを聞いてから対応しようとするのではないでしょうか。しかし藤岡はそういうことを何も聞かず、結局は旭をスルーしました。実際に宮沢の言う『暴力』は胸ぐらを掴まれたことだったわけですが、藤岡は宮沢が大したことをされていない*6のが分かっていたと思われます。『暴力ふるってきて』という宮沢の言い方と、旭が「暴力なんかふるってねえだろ」(同)と否定したことから状況を感じ取ったのでしょう。ある意味で、友達の宮沢の言うことと敵対的な旭の言うことを同程度に信用したわけです。そういう判断に至ったのは、宮沢なら自分に甘えて多少大げさに言うだろうという想像が藤岡の中にあったからでしょう。宮沢が過剰に自分に頼っていることを、藤岡はある程度認識していたのです。
 そう考えると、その場面での旭への攻撃的な物言いも、宮沢と野村の期待を慮ったパフォーマンスとしての面があるように見えてきます。「お前  けっこうこいてるよなあ」(同)は完全に喧嘩をふっかける時のセリフですが、そうやって威嚇しておきながらそれ以上のことはしなかったところを見ると、むしろ宮沢たちのメンツのために敵対的な態度を取って見せたように思えます。さらに、「こんな奴相手するよりそっちが先だろ」(p.117)は明確に、状況を収拾させる意図で言っています。『こんな奴』と相手を矮小化することで、衝突を避けつつ宮沢たちの感情にも同調してみせて、自然に場を収めています。
 このように宮沢は、藤岡の欲している関係を与えられず、意図せずに余計な負担を掛けてしまっています。とはいえ、そのような関係性を宮沢が望んで築き上げたわけでもないと思います。藤岡が家族をはじめ周囲のために身を削っていることを宮沢はよく知っているので、できるなら自分は藤岡の助けになりたいと思ったはずです。*7 しかし、藤岡は精神的に成熟していてだいたい何でもできるので、宮沢が助けるまでもなく自分のことをやり、人のことまで助けてきたのでしょう。それを間近で見てきた宮沢が、尊敬と信頼の念を強めると同時に、藤岡の助けになることを徐々に諦めていったとしても仕方のないことかもしれません。そしていつの間にか、助けるー助けられるという一種の上下関係が固定され、宮沢は藤岡に頼ってしまう習慣が付いたのでしょう。
 ところが、宮沢が築けなかった関係を藤岡に与えられる人物がいます。それが旭です。旭は同級生の誰にも対等に、というかちょっと上からな感じで接し*8、藤岡にも臆しません。千恵の盗みが発覚した時は、強引にでも反省させようとし、自ら望んで姉として大人としての役割を引き受けようとする姿を見せました。それを自分が果たせず、藤岡が完璧にやって見せた時も、ぶっきらぼうに「悪かったな それとありがとう」(p.173)と言っており、筋を通しつつ対等に接しようとしているのが伺えます。その態度は、一方的に頼られて大人の役割を果たすことを望まない藤岡にとって、好ましく映ったに違いありません。だからこそ、この場面での少ないやり取りで2人の仲は急接近し、2日後にみんなで遊んでいる時も、その輪の中心には笑い合う2人がいるのです。
 結局、対等に助け合う関係になることが難しくても、そうありたいという意志を示して行動するだけで、藤岡にとっては救いになったのです。しかし、宮沢は藤岡への尊敬の念が大きすぎたため、それができませんでした。旭にとって盗難事件が解決する場面は、自分が千恵の姉の役目を果たせないという足りなさを突き付けられた出来事でした。しかし同時にそのシーンで旭は、宮沢が占めたかった藤岡に対する立ち位置にするりと入り込んでいたのです。ここでもまた、『あの子にとっての足りない現状は私から見れば充足した理想』という足りなさの相対性が立ち現れています。

 さて、宮沢についてここまで述べてきたことをまとめます。
 宮沢は藤岡を慕っており、彼女が周囲のために自分を犠牲にすることをよく思っていません。彼女のためにできることがあればやってあげたいと思っています。しかし、藤岡は人格も能力も成熟しており、そんな自分より大人な彼女のためにしてあげられることを想像できず、宮沢は半ば諦めてしまっています。そういった藤岡を尊敬する気持ちのあまり、知らず知らずのうちに彼女を自分より上に見てしまい、藤岡の望む対等な関係を築けていません。それどころか、藤岡への信頼が行きすぎて過剰に頼ってしまい、意図せぬ負担を掛けてしまうこともあります。
 総合すると、作中に表れている宮沢の足りなさは『藤岡の助けになれない』ことだというのがここでの結論です。



2節.  野村さんは何が足りない?

 宮沢について掘り下げたので、相方の野村についても考えてみましょう。
 野村には何が足りないでしょうか? 
 
 まず思い付くところでは、存在感が足りません。
 野村が登場する時は、常に宮沢と一緒にいます。そして、物語の展開に必要な言動を取るのは、いつも宮沢の方です。藤岡含む女バスの部員からお金を集めたのも宮沢なら、千恵に疑いをかけて旭と直接トラブルになったのも宮沢ですし、藤岡がお金を出したことも家族に尽くしていることも全部宮沢が説明しました。
 野村は基本的に宮沢の一歩後ろにいて、あまり喋らずに彼女に同調しています。特に盗難事件が解決するシーン(p.158‐173)などでは、千恵が宮沢に返したお金に「えと  2000円だけ?」(p.163)と指摘した以外は発言せず、常に宮沢の斜め後ろで彼女と同じ表情をしています。藤岡のサブの位置にいようとする宮沢のサブの位置にいようとするのが野村なわけで、徹底して前に出ない立ち回りをしていると言えます。

 かといって、感情や主張を表に出さないタイプというわけでもありません。
 例えば、集めていたお金がなくなった時は、野村が宮沢に「こうなったらみんなの机の中も調べよう」(p.111)と言っています。案外野村の方が過激派です。グループの中の親しい友達にはそういう面も出すわけです。*9
 また、千恵に最初に疑いをかけ、千恵を呼び出すよう旭に言って胸ぐらを掴まれたのは宮沢ですが、野村も一緒になって千恵を疑っています。「ねえ  取ったのって 南山さんなんじゃない?」(p.112の4コマ目)というセリフは、直前のコマで表情がアップになっている宮沢のものでしょうから、それに応えた「ありえるよ! 確かになんか悪びれもなくそういうことしそうだわ だってあの時私たちの話聞いてたし 教室掃除してたなら可能だよね」(p.113の2コマ目)は全て野村のセリフとして読むのが自然です。それに宮沢が「でしょ!  絶対あやしいよ!」(同6コマ目)と返すという会話の流れです。
 野村は宮沢の尻馬に乗った形ですが、『なんか悪びれもなくそういうことしそうだわ』というのは、宮沢よりひどいことを言っている気がします。*10  野村が旭に胸ぐらを掴まれて怒鳴られていてもおかしくなかったのですが、たまたま前に出ていた宮沢が捕まったわけです。
 加えて言えば、野村は千恵の悪口は言っていますが、旭の悪口は言っていません。「うるさいなあ  とかいってアンタが盗んだんじゃないの!?」(p.111)、「へえ  だから性格悪いんだ」(同)、「なによこいつ  調子のっちゃってさ」(p.115)、「全然つりあってないから身の程知ったほうがいいよ」(同)、「だからあんたはみんなに嫌われてんだよ」(同)など、数々の旭への罵倒は全て宮沢の口から出たものです。野村が旭に関して言ったのは「取るわけないよ  この子ん家金持ちだもん」(p.111)という、冷ややかな敵意は見え隠れしますが直接の悪口とはむしろ逆の意味のセリフだけです。宮沢は後に「私たちこそ  この前はひどいこと言っちゃって」(p.171)と、野村と2人で旭を悪く言ったように謝罪していますが、少なくとも旭に対して直接罵ったのは宮沢一人です。野村は、その場にいない千恵の悪口は言いましたが、目の前にいて言い返してくる旭には攻撃していないのです。
 どこまで意図的かは別にして、そういうのが野村の立ち回り方だと言えます。

 ここまでをまとめると、野村の特徴は、攻撃的な思考もしているがそれをあまり目立たせず、友達の一歩後ろに*11いて、問題への対処や判断を任せがちだということになります。野村の足りなさは、一言で言えば『消極性』ではないかと作中の描写からは言えます。
 とはいえ、そういった消極的な性格を野村自身が短所だと思っていないこともありえます。あるいは、面倒や責任を負わないために、そういった立ち回りを意図的に選んでいるかもしれません。そのような場合、他者からはそれがあまりよくない性質として見えたとしても、野村にとってそれは足りなさではないということになります。よって、消極性が野村の足りなさだというのは、あくまで作中の描写からの想像にすぎないということは言っておかねばなりません。
 やはり、あまり目立たず発言が少ないという特徴ゆえに、野村の内面を推測するのは限界があるのです。*12

 さて、余談です。
 ここまで野村の性質を見てきましたが、彼女に似た部分があるキャラクターがいます。ナツです。
 まず、グループ内でのポジションが似ています。女子3人のグループの中で一番目立たない立ち位置です。他の2人が主張したり目立ったりする中、一歩引いた場所で見ていることが共通しています。
 また、野村が攻撃的な思考や言動もしているが、それをあまり目立たせないようにしているというのはさっき見た通りです。宮沢に同調する形で千恵を悪く言い、そこにいる旭に直接悪口を言うことはしていません。これは、ナツが藤岡や宮沢に対しては強く出たり抗議したりできないのに、自分のグループの中では溜め込んでいた陰口を言う(p.175)のと似ています。「ふつふつと不満も嫌らしいことも考えてるくせに一切主張できずに黙ってて」(p.211)というナツの自己否定に近い性質を、野村も持っているのではないかと想像されます。
 とはいえ野村は、宮沢に続いてならグループ外の旭たちにも千恵の悪口を言っていますし、宮沢が旭に胸ぐらを掴まれた時は「やめてよ  こっちは被害者なんだよ」(p.114)と叫んで割って入っており、千恵への疑いを否定しようとして結局何も言えなかったナツよりは積極的に動いています。しかしそれは、宮沢が旭に圧倒されていて自分が止めるしかなかったからだとも考えられます。そういう意味では、ナツは先に旭が怒ったから抗議するタイミングを失ったのかもしれません。この時の野村のように、必然性や正当性があれば前に出るという傾向は、藤岡が千恵に絡んでいた時に「藤岡さんがこわいみたい」「嫌だったみたい」(p.108)とやんわり止める時のナツにも見られます。*13  やはり、この2人の行動原理には近いものを感じます。
 しかし、言動の傾向が似ていて、抱える足りなさも似通っているかもしれない野村とナツが、実際に近付いてお互いの内面を分かり合うことはおそらくありません。2人ともが、別グループに属する相手に積極的に関わるタイプではないので、接点が生まれにくいからです。彼女たちは、『消極性』という性質ゆえに、その性質を誰かと分かち合う機会も持たないのです。*14



3節.  水沢先輩は何が足りない?

 水沢先輩と言えば、旭の彼氏ですね。
 しかし水沢は、名前こそ複数回言及されるものの、実際に登場するのは2コマのみです。しかも、そのうち1コマ(p.40の4コマ目)は遠目で全身が小さく見えているだけで、もう1コマ(p.41の2コマ目)で横顔が一度見える程度の描写しかありません。そして、そもそもセリフが一言もありません。
 もはや登場人物と呼ぶことすら躊躇われますが、一応彼についても考えてみましょう。

 水沢について作中に出ている情報は、旭やナツたちより一学年上の3年生であること、サッカー部に所属しておりエース選手であること、女子の間で有名であること、*15これだけです。
 というのも、作中での水沢の役目は『恋人がいる』状態を作るための旭のオプションであり、個人としてのキャラクター性は必要ないからです。過剰なほどにスペックが盛られているのも、旭の充足度合いを強調し、ナツの劣等感をより効果的に引き出すための装飾です。つまり、水沢はナツの私小説の側でのみ意味を持つ舞台装置のようなものです。

 それを言った上で、あえて人間としての彼について評価しますが、いや、よくできた人ですよ水沢くんは。サッカー部のエースでイケメンで他学年含め女子にキャーキャー言われてるわけです。そんな彼が旭を選んで付き合ってるんです。よく分かってますよ。クラスでも交友の狭い旭と何で知り合ったか*16知りませんが、旭という人間の魅力にちゃんと気付くっていうのは、ほんと、よく見てますよ彼は。
 ただ、一つだけ言わせてもらうなら、センスがヤバい。旭に贈ったリボン、なんなんあれ。そこそこの大きさのリボンにちっちゃいハートがたくさん散ってるやつ(p.83の7コマ目)。もうちょいなんかあったやろ。リボン売ってるとこ(p.86の4コマ目)とか見てもさ、他に色々あるやん。なんなん、旭があれ頭に付けると思ったん?  いや、ないやろ。絶対ないやろ。ちゃんと見てる? 旭のこと。さっき誉めたけどさ、ほんまにちゃんと見てる?  なに?  どうせ頭には付けてくれへんやろって思てカバンとかに付けてもそこそこ目立つやつ選んだん?  ふーん。そういう、独占欲とか。ふーん。
 まあ、そんぐらいしかけなすとこないもんな。色々言うたけどな、がんばってや。旭のことちゃんと見たるんやで。

 というわけで、水沢に足りないのは『センス』でした。
 


4節.  お母さんは何が足りない?

 今節では、ナツの母親について掘り下げようと思います。
 彼女もまた、登場キャラクターと呼ぶには不十分な人物です。何しろビジュアルが皆無です。現代の時間軸では体の一部すら描かれず、ナツの回想シーンでおそらく母親だろうと思われる左腕と腰付近(p.129の4コマ目, p.130の3コマ目)、およびごく小さなシルエット(p.131の3コマ目)が見えるだけです。彼女を特徴付けるのはいくつかのセリフと手紙の書き文字のみですが、それらもわりとステレオタイプな『母』という印象の言葉で、個人としての内面を想像するのは難しそうに思えます。
 しかしまあ、考えてみましょう。

 いきなり話が飛ぶんですが、ネット上のどこかで見た本作の感想でとてもしっくりきたものがあって、それは「夜な夜な夜な」という曲が小林ナツのイメージソングとして聴けるという記述です。「夜な夜な夜な」は歌手の倉橋ヨエコさんが作詞作曲した曲で、「夜は自己嫌悪で忙しい」というサビのフレーズで有名です。何かにつけて人間関係のうまくいかなさを思い、夜に一人で気分が沈んでマイナス思考が膨れ上がっていく様を歌った歌詞は、確かにナツの心性とぴったりはまるなと腑に落ちました。
 その中でも、一番私が『これはナツのことだ』と思った部分は、2番の序盤にある以下の歌詞です。
  “安売りも  乗り換えも  陰口も
    間悪いし
    親譲り  親譲り  親譲り
          間悪いし”
 そう、ナツは間が悪いし、それは親譲りなんだよ、という気付きがありました。
 どういうことか。まず、ナツの間の悪さを見てみましょう。始まりは第5話冒頭です。母親に駄々をこねてお小遣いをねだっているのをたまたま同級生に聞かれるというのは、それだけで致死的に間が悪いですが、同時にこれは後の逸脱の引き金でもあります。その他にもいくつかの偶然が重なって、千恵はお金を盗み、ナツはそれを受け取ってしまいます。そしてその後に、ナツの間の悪さがさらに発揮されます。盗難事件が解決する場にたまたま居合わせなかったために救いを得られず、最悪のタイミングで旭たちに藤岡の陰口を言い、偶然に旭が藤岡たちと遊んでいるところを目撃し、どんどん自己否定に沈んでいきます。自分の性格からくる自業自得半分、純粋な不運半分のナツの間の悪さは、作品の展開上課せられた足りなさの一つだと言えます。
 それでは、その間の悪さが親譲りというのはどういうことでしょうか。というのは、ナツの母親も間の悪さが描かれているのです。彼女の間の悪さは、お金をあげるタイミングに尽きます。彼女は、翌々月分までのお小遣いを前借りしたいというナツの希望を一旦ははねつけましたが、数日後に考え直して前借り分の1000円を娘に与えます。しかし、彼女が一度断った翌日に、すでにナツは盗んだお金を受け取っており、自らを窮地に追い込んでいました。「遅いんだよ  こんなのもういらないんだよ すごくイヤな気分だよ」(p.192)というナツの言葉は八つ当たりに過ぎませんが、最初に頼まれた時点でお小遣いをあげていれば事は起こらなかったという意味では、タイミングが悪かったのは確かです。*17
 さらに言えば、ねだられた時にお金を渡していれば、聞いていた千恵がお金を盗むことはなく、ナツが追い詰められることもありませんでした。母の間の悪さがナツの間の悪さに影響を与えていると言うことができます。まさに『親譲り』なわけです。

 このような、ナツが持っている『親譲り』の足りなさは、間の悪さだけではありません。最も分かりやすいのは家庭環境でしょう。
 小林家は決して裕福ではありません。ナツ本人が思うほど『何もない』わけではなく、母はできる限りのものをナツに与えていますが、いつ休んでいるのか分からないほど働きながらも、行楽や旅行には行けない暮らし振りなのは確かです。自分の家庭が貧しい方だというナツの認識自体は、間違ったものではありません。そして当然、経済状況の足りなさは親から子へ直接的に受け継がれてしまったものです。
 また、母に夫がいないことも、ナツに父の不在として受け継がれています。*18  むろん、親が2人いないことは必ずしも不足を意味しません。しかし、ナツが小学3年生の頃までは父親がいたこと(p.129)と、家族旅行の思い出がその頃であること(同)、海に行ったのもその時期が最後であること(p.199)を併せると、父親がいなくなったことが小林家の経済状況に影響を与えていると考えるのが自然です。*19  何より、ナツ自身が自分の家庭を他所と比較して、父親がいないことを『足りなさ』と捉えていることは、想像に難くありません。*20
 加えて、箸の持ち方のような教養やパソコン操作のような生活知識が不足している状態も、家庭内で受け継がれたものです。ナツの母もそれらに疎いのか、あるいはそれらを娘に伝える余裕がなかったのかは分かりません。しかしどちらにしろ、母の足りなさがナツの足りなさに影響していることは確かです。

 このように、母から直接受け継がれた足りなさをナツはいくつも抱えています。そして、ナツの最大の足りなさである『客観習慣の過剰』さえ、母と共通しています。
 それが表れているのが、母がお小遣いと一緒にナツに置いておいた手紙(p.192)です。
 手紙の末尾には「お母さんより♥️」と署名がありますが、「さん」は後から付け足されたのが分かります。そこから、初めは「母より」だったけれども、それでは素っ気ないと感じて「お」「さん」とハートマークを後から書き足したことが推測できます。それを踏まえて手紙全体の行間や余白を見ると、「いつもごはんつくりおきでごめんね今度ファミレスいこ!」の一文と、各文末の顔文字・絵文字も、後から付け足したものだろうと想像できます。
 お小遣いを特別に渡してあげるという状況でありながら、最大限に柔らかく親愛の情をもって書こうと苦心しています。娘にどう伝わるかを気にしすぎて、自分で書いた短い手紙を何度も見返しては語句や絵文字を加えていく姿が想像されます。それは、ナツが空気を読んで最適な言動をしようとして空回りする姿に重なります。あれはまさに、客観習慣の過剰が写し出された手紙なのです。
 また、今節の初めに触れたように、ナツの母のセリフや文章がステレオタイプな『母親』*21に近いことも、客観習慣の過剰と関連していると考えられます。つまり、母親という役を演じているということです。もちろん、子供が生まれた夫婦が『お父さん』『お母さん』とお互いを呼び始めるように、親というのは普遍的に親の役を演じているものでしょう。ただ、その中でもナツの母が一般的な母親像に近い振る舞いをしているということは、それだけ意識的に強固に母親役を演じているということです。*22  そこには、自分を外から見て適切に行動しようとする客観習慣が大きく影響していることでしょう。同時に、客観習慣の過剰によって他者と比較してしまうために、よその家庭と比べて望ましいとは言い難い成育環境だからこそ、より自分がきちんと母親としての役割を果たさなければならないという使命感が大きいのかもしれません。
 しかし、以上のように母とナツに客観習慣の過剰という足りなさが共通しているからといって、それが親から子へ受け継がれたものだとは必ずしも言えません。確かに、教育や些少な遺伝要素によって、子の気質が親と似通うのは一般的なことです。しかしそれは、あくまで部分的な傾向の話であって、客観習慣の過剰という思考の癖が母からナツへ直接的に受け継がれたかというと、そうかもしれないとしか言えません。
 ただし、ナツの問題の核である、他者の充足を自分と比較して劣等感を覚えがちだという偏った客観習慣の過剰には、家庭環境が影響していることが容易に想像できます。*23  父親がいない決して裕福ではない団地住まいでなければ、ことさらに他人と比べて羨む必然性が薄かったでしょう。つまり、ナツの最大の足りなさは、母から受け継いだ足りなさが一因となってできていたのです。そして、同じ家庭環境の足りなさが母の客観習慣にも影響を与えていると思われます。*24  彼女もまた、自分が娘に多くを与えられないことを他の家庭と比較して気に病んでいるだろうことは、手紙の文面や、一度断ったお小遣いの前借りを後から許すことから垣間見えます。要するに、親子に共通している他者との比較に偏った客観習慣の過剰は、家庭環境という共有された不足を通じて繋がっているのです。

 以上のように、間の悪さや種々の家庭環境、客観習慣の過剰といったナツの足りなさの多くは、母親から受け継いでしまったものです。そして、母はそのことに苦しんでいます。
 それが表れているのが、ナツのお小遣いの前借りの希望に対する彼女の対応です。それをお願いされた彼女は、翌月分までの前借りは許しましたが、翌々月分は断りました。先述したように、彼女はかなり意図的に母親という役割を演じているので、娘のおねだりへのこの対応は、彼女の思う適切な母親としての行動だったはずです。実際、お小遣いは定期的に定額を支給するというルールを定めているものなので、それを守らせるのが正しいです。翌月分の前借りは許して寛容さも示したことを含め、親として適切な対応をしたと言えます。ところが、彼女は後からその判断を覆して、翌々月分までを渡します。正しい母親の役割よりも優先するものがあったから、そのような行動になったはずです。
 それが何かと言えば、娘への負い目でしょう。欲しいものを買える生活をさせてあげられていないという申し訳なさが、後から彼女の判断を変えさせたと思われます。物やお金以外にも、時間の足りなさゆえに娘に十分に愛情を示せていないのではという不安と、それを埋め合わせたいという気持ちも、手紙の文面からは伝わってきます。他の家庭ならもっと充足した生活ができたのに、という形で客観習慣が働いてもいるでしょう。
 つまり、『自分の足りなさを娘に受け継がせてしまっている』ことが、ナツの母の最大の足りなさです。いわば、つけを回してしまったという負い目を常に抱いているのです。

 それを踏まえた上で本作を読み返すと、ナツの母の思考の流れがなんとなく想像できます。
 まず第5話冒頭、火曜日の夜に、娘のお小遣い前借りのお願いを断って親子喧嘩になります。ナツは盛大に駄々をこねた後、泣きながら寝てしまいました。
 翌日の水曜日は普通に登校していきましたが、この日にお金の盗難に関わりを持ちます。帰宅したナツの中には様々な感情が渦巻いていたと思いますが、忙しい母がそれに気付いたかは分かりません。翌日の木曜日の朝に「昨日は元気だったでしょ!?」(p.128)と言っているところから、体調不良には見えていませんでした。
 この木曜日にナツは仮病を使って学校を欠席しますが、「熱っぽくて」(同)という症状の訴えに対しての「あとで病院行くからね  歩いていける?」(同)という反応からして、体調不良を疑っていないどころか、ちょっと大げさなほどに心配しているように見えます。*25  病院に行くと言って帰ってきた後、お見舞いに来た千恵と元気に遊んでいたことで、きっと安心したことでしょう。
 しかし、翌日の金曜日の朝に、ナツは「まだ具合悪くて」(p.140)と言い出します。母は「昨日  元気に遊んでたじゃない!?   今日  休んだらだめだからね!」(p.141)と返しますが、この時点で、娘が心理的な理由によって学校に行きたがっていないのではという疑いが首をもたげたでしょう。*26  しかしナツは結局は数十分程度の遅刻で自主的に登校したので、少しは安心したと思います。ところが、この日のナツは世界に否定されたと感じ、自分と他者の両方に対する呪いが心中に吹き荒れた状態で帰ってきます。ナツの心身の様子にいつもより注意を向けていたであろう母は、娘が普段と違うことに気付いたでしょう。*27
 そして翌日の土曜日も、母が在宅したかは分かりませんが、ナツは誰とも遊ばなかったはずなので、翌日の日曜と同じように一人で家で悶々としていた可能性が高いです。
 これらの状況から、母はナツが学校のことで何か悩んでいることを感じ取っていたでしょう。そう考えた時、心当たりは火曜日の夜にお小遣いをねだられたことです。ナツはこの時リボンを買うという目的も母に言っていますから、彼女の価値観からして学校で流行っていることも言ったでしょう。そして、みんなが持っているものを持っていない劣等感は、母にとっても痛いほど分かるものでしょうし、自分がそれを娘に引き継いでしまったという負い目でもあります。もしそれが原因で娘が学校を苦痛に思っているとしたら、と考えたならば苦しかったと思います。そうでなくても、心が沈んでいるナツに対して母がしてあげられることを考えた時、娘の望みとしてまず思い付くのはお小遣いのことだったはずです。
 こうした出来事と思考を経て、彼女は母として下した判断を撤回し、翌々月分のお小遣いをナツに渡したのです。それがおそらく、日曜日の午前中のことです。わざわざかわいい柄付きの便箋と封筒・テープを使い、過剰なまでに柔らかく優しい文面にしようと試みたのは、こういう経緯と心理があってのことなのです。
 先ほどは、ナツの母がお金を渡したのは間が悪かったと書きましたが、決して気まぐれでお金をくれたけどタイミングが悪かったというわけではないのです。母はナツの様子を見ていて、適切な行動とタイミングを計ろうとしており、間に合わせようとしたけど間に合わなかったのです。*28

 このように、ナツの母の心境を想像しながら読むと、また別の見え方があります。彼女もまた足りなさを抱えてもがく一人です。
 彼女が娘のことを大切に考えて思い悩んでいることを思うと、お金を受け取ったナツの「遅いんだよ」(p.192)という文句や、絶望したナツが自殺して母やみんなを後悔させようと考えるシーン(p.178‐179)は、本当にいたたまれない気持ちになります。
 そして、私小説の語り手たるナツが母親にあまり関心を向けないために、そういった母の思いや葛藤自体がほとんど見えないようになっていることにも、それが親という役割とはいえ、悲しさを覚えます。
 そんな風に顔も分からないナツの母ですが、彼女の足りなさは、その継承者たる娘のナツを通じて作中に写し出されているのです。そして、その継承自体が彼女の足りなさなのです。



おわりに

 ここまで読んでいただきありがとうございます。
 
 情報の少ないキャラクターたちについて妄想と願望で書いてたら、我ながらだいぶ気持ち悪い文章ができました。まあ、漫画一冊の感想を何万字も書いて公開してる時点で十分気持ち悪いと思うので、今さら気にしないことにします。

 『ちーちゃんはちょっと足りない』の登場人物の足りなさについて考える文章は、これで完結となります。お付き合いいただいてありがとうございます。
 また何か書くかもしれませんので、その時はよろしくお願いします。




脚注(余談)

*1:【大好き】
 といっても、宮沢が藤岡に抱いているのは友達としての情だと思います。細かく分けても信頼が主で、尊敬の念も入り混じっており、それらが多少依存に近付いているかもしれない、という程度でしょう。
 それを前提としての余談なんですが、本作を百合として解釈する感想をネット上でたまに見かけます。私が見つけた限りでは、その全てがナツと千恵の依存百合への言及でした。私は、人間同士の関係を安易に恋愛の文脈に当てはめようとする考え方を、性別の組み合わせおよび創作/現実の別にかかわらずあまり好みません。(ただし言うまでもなく、作品をどう解釈するかは受け手の自由です。) その上で言いたいんですが、『ちーちゃんはちょっと足りない』に依存百合を見出だすならナツ→千恵の100歩手前に宮沢→藤岡だろうが! お前らいったい何を見てんだよ!!!  というのが個人的な感想です。

*2:【見上げる宮沢】
 そもそも、彼女たちの顔が初めて出るシーンが、前を向いた藤岡を隣の宮沢が見上げるカット(p.86の2コマ目)です。

*3:【慕っている】
 これも妄想というか邪推の範囲なんですが、藤岡と宮沢が最も髪型の似ているキャラクターの組み合わせなのも意味深く思えてきます。それも、コマによって見え方が違いますが、多分藤岡の方がちょっと髪が長いです。p.88の1コマ目やp.160の1コマ目を見ると宮沢の髪は背中の中程までありますが、藤岡はp.106の5コマ目やp.161の3コマ目で分かるように、腰の上あたりまで髪がきています。また、2人の髪型が唯一明らかに違うところが、藤岡が妹との繋がりの象徴であるリボンをとめている前髪だということも、それが宮沢が敬意を払うポイントの一つであることを踏まえ、意味があるように見えてきます。これ以上いくと二次創作の域に入るので止めますね。

*4:【負担を引き受ける】
 具体的には、「いいよいいよ  やるよチビ」(p.166)というセリフがその意思表示です。おそらくその直前、笑みを浮かべた口元だけが見える3コマ目の瞬間に、宮沢の発言を受けてこの収め方を練り上げたのでしょう。
 第4章4節でも触れましたが、この後に藤岡が千恵にあげた1000円分を新しく出して補填したのか、それとも1000円は徴収できなかった扱いにして宮沢は2000円を上納したのか、それは分かりません。一連の経緯を見ている以上、宮沢がさらに1000円を藤岡から受け取ることはなさそうに思えますが、描写がない以上確かなことは言えません。

*5:【見上げた】
 他者が自分より優れた大人に見えて執着を抱くというのは、ナツが旭に向ける感情と同じです。違うのは、ナツの感情が認められたいという思いと劣等感なのに対して、宮沢が藤岡に抱くのは純粋な敬意であることです。この違いは一つには、他者の優れた部分を自分と比べて劣等感を抱きがちなナツの思考習慣に起因するでしょう。もう一つの原因としては、旭と藤岡の持っているものの質の差があります。ナツは自分になくて旭にあるものを基本的に元から持っていたものと見なしており、実際にそういう面は大きいです。対して宮沢が藤岡を尊敬するポイントは、本人が選択してそうあろうとしていることです。だから宮沢は劣等感や嫉妬を混ぜずに、純粋な善意でもって藤岡を尊敬できるのでしょう。しかしそれは同時に、何ら抵抗なく心地よく藤岡に依存できるということなので、宮沢の方が健全だとも言い切れないところがあります。

*6:【大したこと】
 もちろんここで言う『大したことではない』というのは、『暴力』という言葉でくくられる行為の中で相対的に軽いという意味です。日本の刑法では胸ぐらを掴むことは暴行罪に相当しますので、やるべきではありません。

*7:【助けになりたい】
 それが表れているのが、藤岡がお金を出したことを旭に説明するシーンでしょう。あの時の宮沢は、藤岡の名誉を守ることにわずかなりとも寄与できることに奮い立っているのです。

*8:【上から】
 これは藤岡も共通しています。藤岡がなんとなく宮沢たちの上に立つような関係性ができたのは、もちろん彼女の能力や人格あってのものです。しかしそれに加えて、藤岡が元から態度がでかいから、宮沢たちも雰囲気を受けて子分っぽいムーブを強化した面はあると思います。例えば『魁!!クロマティ高校』(野中英次)における北斗とその子分の関係性ですね。
 だからこそ藤岡と旭は相性がいいとも言えます。2人とも親しくない同級生を名字で呼び捨てにして『あんた・お前』と呼ぶのが自然なタイプで、それでいて上に立ちたいという欲求は特にないので、お互いに遠慮なく言い合える対等な関係を築いていけるでしょう。

*9:【グループの中】
 ところで、これは妄想と願望の話なんですが、ナツと千恵がグッズショップで遭遇した後の藤岡たちは、「あいつ黙って三高の女と番号交換してたから──」「ブランドのサイフ買ってくれるって」(p.89)という話題で盛り上がっていました。素直に受け取るなら、『彼氏が別の女にモーションをかけてたから罰として高い品物を買わせた』という意味でしょう。(彼氏が高校生で同じ高校生にアプローチしたのか、彼氏は中学生で年上の高校生を狙ったのかはどっちとも取れます。)
 これ、誰のセリフだと思いますか?  作中の描写からは確定できません。ただ、このシーンでは藤岡がずっと喋って目立っていたので、なんとなく藤岡の発言だと思って読んだ人が多いと思います。しかし、その後「私らももう少しすれば大人だ 欲しいものは自分の力で手に入れられるようになる  楽しみじゃねえか」(p.169)と語る藤岡を見ると、前述のセリフとは少し遠い印象を受けます。では宮沢のセリフかというと、彼女は藤岡の前ではこういうこと言わないんじゃないかというのが私の勝手な印象です。
 なので、案外野村が言ったんじゃないかという気もするんですよね。私たちはナツや旭に近い視点からしか野村を見ていませんが、彼女はそういう場ではあまり素を出さないと思うので、逆説的にグループ内の会話ではどういうキャラでもおかしくないんですよね。何より、ちょっと不良っぽい女子グループの隅っこにいる目立たない子が、高校生と付き合ってブランドの財布を買わせてるとしたら、そのギャップは、こう、いいよね···と思います。すいません。

*10:【ひどいことを言って】
 ただし、宮沢と野村の疑いと印象論は全て正しかったことが後に判明します。なので、旭が宮沢たちに謝る時の「カッとなるとすぐ周りが見えなくなって情けねえ この前はお前らにも嫌な思いさせてしまって 本当にすまん」(p.171)というセリフには、正当な疑いを頭ごなしに否定したことへの謝罪も含まれているのでしょう。とはいえ、件の場面で千恵を疑う根拠は曖昧な状況証拠のみであり、宮沢と野村の発言が相手の友達の前でするべきものではなかったのも確かです。彼女らも人への気遣いができないタイプではないので、お金がなくなったことで焦る気持ちが攻撃的な言い方に繋がってしまったのでしょう。

*11:【友達の一歩後ろ】
 宮沢の側も、野村が自分の一歩後ろのポジションにいたがっていることを分かって行動している節があります。盗難事件の解決後、宮沢は野村を伴って旭に話しかけ、「私たちこそ  この前はひどいこと言っちゃって」(p.171)と言い、「私  旭さんを勝手に勘違いしてたよ ごめんね」(同)と謝りました。それによって、三者の間には和解が成り立った和やかな雰囲気が流れます(p.172の1コマ目)。しかし実際には、野村は何も言っておらず、宮沢の背後で反省した顔をしたり微笑んだりしているだけです。それでも野村も和解に参加した形になっているのは、宮沢が『私たち』という言葉を使った時に、これが自分と野村の両方からの謝罪であることを言外に表明したからでしょう。宮沢はこの件に関して、自分の意思表示を野村が後追いで共有することを自明として理解しているのです。
 また、おそらく宮沢がお金を集めて保管していたことも、そういった責任のある役目は野村より宮沢がやることが、2人の間で暗黙の了解になっていたのかもしれないと想像させます。

*12:【野村の内面】
 宮沢に関しては藤岡を大好きなことはすごく伝わってくるのですが、野村は発言が少ない分そういう執着の対象が見えづらく、藤岡に対して宮沢のように慕っているのかもよく分かりません。色々な意味で目立ち、面倒見のいい藤岡は、野村のようなタイプが一緒にいるには楽だろうと想像はできます。しかし、宮沢が藤岡を好きすぎて彼女についての情報説明を全部やってくれるので、野村が藤岡について喋るシーンがありません。
 というか実は、野村が藤岡と直接話すシーンがそもそもありません。グッズショップでリボンを物色するシーン(p.86の6コマ目)など、誰が発言しているのか分からないコマでは会話しているのかもしれませんが、発言者が分かる場面ではいつも宮沢が藤岡と喋っています。野村の藤岡とのやり取りで確定しているのは、宮沢と一緒に待っている野村に藤岡がすぐ行くと連絡したこと(p.158の1コマ目)だけですが、これさえグループLINEなどに藤岡が送信したのをたまたま野村が見ただけという可能性も高いと思います。
 結局野村は人間関係についても、『宮沢の斜め後ろにいがち』という関係性以外がほとんど見えてこないのです。

*13:【必然性】
 千恵が蜂と戦った時に「殺生はかわいそうだよ!」(p.14)とツッコんでクラスの注目する輪の中で漫才のような会話を繰り広げるなど、そこに千恵がいるという必然性があれば、ナツは周囲の目をあまり気にせず前に出ていけるのかもしれません。

*14:【性質ゆえに】
 これはナツの側から見れば、第2章8節で触れたような、足りなさが原因で足りなさから逃れられないという状況の1つだと言えます。

*15:【女子の間で有名】
 このことは、直接的にはナツの「水沢先輩だったかな  サッカー部のエースで女子に有名な」(p.41)というセリフで読者に示されます。加えてそのセリフは、交友関係が広くないナツが学年の違う水沢の顔を見ただけでそれだけ情報を思い出せるという事実によって、彼が有名であることを同時に立証しているのです。さらに、女子バスケ部で直接の交流のないであろう宮沢が旭との交際を知っており、「ちょっと3年の水沢先輩と付き合ってるからってさ  あんたがえらくなったって勘違いしてるんじゃないの 全然つりあってないから身の程知ったほうがいいよ」(p.115)と発言することも、水沢の知名度と人気の高さを如実に表しています。

*16:【何で知り合ったか】
 これもけっこう謎なんですよね。学年が違う2人にどんな接点があったのか。水沢はサッカー部員ですが、旭は放課後部活に行く様子は描かれていませんし、サッカー部でマネージャーやプレイヤーをやってそうではないですよね。校内で何か偶然の出会いがあったのか、家同士が近所で付き合いがあるなど校外に接点があったのか。このあたりは想像するしかありません。
 どちらからアプローチしたのかも気になるところです。旭はそこまで目立つタイプではなく、超人気の水沢に旭の方から行っても相手にされなさそうな感じがするんですよね。なので、逆に水沢の方が何かのきっかけで惚れ込んで告白してきた王道少女漫画的パターンが、案外可能性高いかもしれません。ただ、旭は旭で本気で好きになったら周りとか気にしなそうなので、並み居る女子を押しのけて猛アピールの末に射止めたパターンもあり得るとは思います。さすがにその場合ナツも気付きそうですけど。

*17:【タイミング】
 ナツがお小遣いをねだる時に「売り切れちゃうかもしれないの!」(p.102)と言っているので、もし盗んだお金で買っていなくても、後からお金をもらって買いに行ってみたら売り切れていたという形のタイミングの悪さもあり得たわけです。

*18:【父の不在】
 作者の別作品で、父の不在という足りなさがはっきり描写されるのが『空が灰色だから』1巻収録の第3話「空が灰色だから手をつなごう」です。主人公のシングルマザーの娘は、友達が持っているものをいくつも挙げた後に「みんなお父さんをもってるし なんでみんなが当たり前のようにもってるものを 私はひとつももってないの?」と問いかけます。
 このエピソードは、母親から娘に受け継がれてしまう足りなさをストレートに描いており、ナツと母に通じるものが多いと思います。この節でナツの母について考える際に、この話の主人公である黒川楓のイメージを重ねてしまっている部分はあるかもしれません。

*19:【いなくなった】
 ナツの父について作中で言及されるのは、「小3のころ  まだお父さんがいたころかな」(p.129)という回想のみです。なので、彼がどのようにしていなくなったのか、母と離婚したのか死別したのか、あるいは正式に離婚しなくても別居したり出奔したりしたのかは、確定し得ないところです。

*20:【他所と比較】
 南山家も同じく母子家庭の可能性が高いです。父親がいなくなった当時のナツにとって、自分と同じ境遇にある近しい人物が千恵だったのでしょう。そのことが、ナツが過剰に千恵を自分と同一視するようになった大きなきっかけだったとしても、不思議はないと思います。

*21:ステレオタイプな『母親』】
 メタ的に読めば、ナツの母がステレオタイプな母親像なのは、ビジュアルがないことで分かるように、個としてのキャラクターではなく単なる母親という記号であり舞台装置だからという風に見えます。ただ、彼女の手紙に残った逡巡の跡を見ると、人格を剥ぎ取った単なる記号として描かれているようには見えないのです。

*22:【その中でも】
 作者の別作品には、ステレオタイプな母親像にあまり当てはまらない母親も登場します。代表的なのは『もっと!』に掲載された「おもいでをまっくろに燃やして」(単行本未収録)の相川桃子でしょう。娘の不登校をただ受容する無職実家暮らしのシングルマザーです。他には『死に日々』のWeb連載第20話「7291」に登場する、『ババア』と呼ばれる谷口赤陽の母もいます。社会性の低い息子をなだめすかす立場ですが、たまにパンチの効いたボケをかまして息子にツッコまれます。彼女たちよりもナツの母の方が、母親像を強固に演じていると言えます。

*23:【家庭環境が影響】
 とはいえ、成育環境が似ている千恵は客観習慣の不足という全く逆の足りなさを抱えているわけで、ナツの思考習慣が身に付いたことにとって家庭の状況はあくまで一因に過ぎません。

*24:【母の客観習慣】
 ナツの母も、娘が小学校に入る前の夫がまだいた時期から団地住まい(p.95)なので、元からそれほど裕福ではなかったことが類推できます。正しいとされる作法をナツにきちんと教えていないことも併せ、彼女自身あまり恵まれたとは言えない環境で育ったのかもしれません。その中でナツと同様の思考習慣を身に付けていたとしても、不思議ではないと思います。

*25:【大げさなほどに心配】
 娘に「いつ休んでるんだろ」(p.192)と言われる彼女が、この日は朝から午後まで家にいることから、もしかしたら看病のために仕事を休んだ可能性もあります。

*26:【疑い】
 前日にナツは病院に行くと言って出かけましたが、実際にはグッズショップでリボンを買いました。このことで、診療費や薬などについての疑いも抱いていた可能性があります。もしもナツが『病院に行こうと思ったけど外に出たら良くなったから行かなかった』とごまかしていたら、それはそれで不審に思っていたでしょう。グッズショップに行く前に本当に病院に行った可能性もありますが、ナツが医者の前で仮病の訴えを貫き通すのも、ちょっと想像しにくいです。

*27:【心身の様子】
 ナツはこの日の午後をずっと『気分が悪い』と言って保健室で過ごし、保護者の迎えなしに一人で下校しました。こういう場合、学校から母親に連絡が行った可能性はかなり高いと思います。その場合、母は帰宅したナツの様子をより注視していたでしょう。

*28:【タイミングを計ろうと】
 このような、必死で状況に合わせようとしているのにズレてしまう間の悪さは、娘のナツにも似通ったところがあります。空気を読もうとして藤岡の陰口を言うも完全に裏目に出ている時のナツなどがそれですね。