深読みの淵

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『ちーちゃんはちょっと足りない』を深読みする 第4章.志恵ちゃんと藤岡さんは何が足りないか

目次

はじめに

 『ちーちゃんはちょっと足りない』を深読みするシリーズ第4章です。
 前回の第3章ではこの作品が、千恵が主人公の成長物語とナツが語り手の私小説という、2つの面が表裏一体となったものだと説明しました。

 この構造を踏まえた上で、今章では志恵と藤岡という2人の登場人物について掘り下げていきます。なぜこの2人をセットで扱うかも、最後まで読めばご理解いただけるでしょう。

 一応言っておきますが、ネタバレありです。
 その他の注意事項は、こちらの第1章の『はじめに』をお読みください。

 ではいってみましょう。




0節. 志恵ちゃんと藤岡さんは何が足りない?

 主人公・千恵の姉である南山志恵と、クラスのちょっと怖そうなグループのリーダー格である藤岡について、この章では掘り下げて考えます。
 主要人物である千恵とナツについて『足りなさ』という観点からその特質を捉えたように、志恵と藤岡に関してもその足りなさを考えることにします。志恵の足りなさ、藤岡の足りなさはいったい何でしょうか。
 今章の全体的な構成は、1~3節で志恵の足りなさを考え、4~5節で藤岡の足りなさを見て、6節で両者の関係について述べるという形になります。



1節. 志恵ちゃんは何が足りない?

 まずは、南山志恵です。彼女は、本作の片面である成長物語の主人公・南山千恵の姉です。志恵を象徴する最大の足りなさは何でしょうか。

 志恵もまた、いくつも足りないものが描写されています。まず、恵まれているとは言えない家庭環境は当然千恵と同じです。確定的な言及はありませんがおそらく母子家庭の上、母親と姉妹が触れ合うシーンは描かれません。親一人子一人のナツの母でさえ「お母さん今日もパートだ  いつ休んでるんだろ」(p.192)と心配されているのですから、娘2人を養っている南山家の母の忙しさは推して知るべしでしょう。金銭的も厳しく、アルバイトをしていますが、気になった服は高くて買えず(p.65)、雑誌は友達が読み終わったものをもらって読んでいます(p.42)。自室は持てず妹と同室です(p.181)し、学費を考えると私立大学は厳しいと思われ、国立を目指しています(p.57)。アルバイトと受験勉強が重なれば当然時間も足りず、深夜まで起きて勉強しています(p.181)。付け加えれば、最近失恋したばかりで恋人がいたこともありません(p.6)。
 こうして志恵の足りていないものを書き出してみると、気付くことがあります。それは、ただでさえ足りていないそれらのものを、さらに妹の千恵のために犠牲にする場面がいくつもあることです。
 例えば第3話で志恵は、靴を買うために千恵をジョスコに連れていきます。休日はバイトを入れるか勉強したいだろうに、わざわざ千恵の世話をしながら出かけます。しかも、失恋したばかりなので同年代のカップルが集まるような場所には行きたくなかったかもしれませんし、実際にカップルに遭遇して避けています(p.64)。*1 ジョスコでは、千恵にガチャガチャをねだられて自分のお金から200円をあげていますし(p.62)、その後には靴をねだられて、自分の財布から2000円出してまで買ってあげようとしています(p.67)。*2  さらに、千恵のテストの結果がよかったご褒美に、プレステを買ってあげようと考えるシーンもあります(p.182)。また、千恵が帰ってこない時は、バイトをすっぽかしてでも探そうとしています。
 このように志恵は、お金も時間も労力も感情も決して余裕があるわけではないのに、その中から多くを千恵に捧げています。もともと足りないものをさらに妹に明け渡さざるを得ない性質なのだとすれば、それは志恵の最大の足りなさだと言えるのではないでしょうか。


《まとめ1》 志恵は色々なものが足りていないが、その中からさらに千恵に多くのものを捧げている。そうせざるを得ないことは志恵の足りなさではないか。



2節. 志恵ちゃんの献身は足りなさか?

 ここで皆さんは疑問に思われたのではないかと思います。志恵は誰かに強制されたわけではなく、自分の意志で千恵に自分の資源を割いているではないかと。それは『妹思いで優しい』という長所であり、『足りなさ』とは反対のものだろう、と。
 それはもちろん間違っていません。志恵が心から千恵を慈しみ、自主的に世話をしていることは、端々の描写から伺えます。千恵が事故に遭ったことを想像して取り乱す姿(p.194)や、「学校で困ったことない?  あったらすぐ言うんだよ」(p.101)というセリフ、「ちー  中間ぜんぶ点数あがってたし がんばったんだね」(p.182)と頭を撫でる表情など、親に近い感情すら抱いている節があります。実際、姉妹の母親は作中では在宅している様子すら描写されないので、志恵が千恵の親代わりを果たしている部分は多分にあるでしょう。

 しかし、それほど親身に妹の世話を焼くことについて、志恵は100%納得しているわけではありません。そのことは、千恵にわざときつく当たる描写がいくつもあることで示されています。
 例えば、第1話冒頭のシーン(p.4‐6)では、志恵が千恵のカバンを手が届かないタンスの上に置いています。「やだやだ  ちー  中学2年生にもなってタンスの上の物もとれないなんて!  ちゃんと片づけしないから」(p.6)というセリフは、ここだけ見れば千恵の手落ちにかこつけて意地悪をしたようにも聞こえますが、後の志恵の振る舞いを見れば、千恵に常日頃からの整理整頓を促す意図の言動なのが分かってきます。しかし、千恵に注意するのが目的ならば、『ちゃんと片付けなさい』と叱り、『片付けられていない物は取り上げる』と言い渡せば済む話です。わざわざ千恵の背の低さを笑う必要はありません。ここで志恵は、千恵の成長を促す意図を隠し、わざと意地悪な接し方をしているのです。
 他にも、千恵が志恵の雑誌を勝手に読んだ時(p.43)や、拗ねて出かけるのを嫌がった時(p.55)に「ポコッ」と拳で額を小突くシーンがあります。ナツから「また志恵ちゃんに怒られちゃうよ」(p.92)と言われた千恵が、反射的に拳を受け止める構えをしたところを見ると、志恵による『鉄拳制裁』は日常的に行われているのでしょう。いつも同じ叩き方をしているために千恵に防御が習慣付いたわけですから、叱る時の指導の一環としてやっているのでしょうし、明らかに手加減もしています。千恵がガチャガチャをねだった時(p.61‐62)の志恵は、実際に小突いた2回の時よりも苛立っているように見えるのに拳を止めているので、感情に任せて叩いているわけでもありません。それでも、叩かれる恐怖で従わせる指導は、親ならばするべきではありませんし、姉としても誉められたやり方ではありません。親に近い愛情を抱いていますが、親として適切な接し方を選んではいないのです。
 さらに、より強い暴力を使う場面もあります。マジカルラブドラゴンパンチを決めようとする千恵の顔面にカウンターで平手をかまして泣かせるシーン(p.73)です。これはおそらく、「殺してやる!」(同)という千恵の暴言に対する制裁です。人に向かって『殺す』と言うのは、人の本を読んだり出かけるのを嫌がるよりも許容できないことなので、指導も強くなったというわけです。そのように叱る内容によって程度を変えていることや、強くすると言っても拳でなく平手で手加減していることから、やはり感情に任せて叩いているのではなく、ある程度理性的に指導方法として選択しているのが分かります。しかし、この場合も殴りかかろうとする千恵を叱って止め、『人に殺すなんて言ってはいけない』と口で言うのが最も適切で伝わりやすいはずで、その前に手を出す必要はありませんでした。
 加えて言えば、この場面の前に志恵は「ほんとさっきまで大ベソかいて店員さんに迷惑かけてたくせに」(同)と、人前で駄々をこねて迷惑をかけた千恵を咎めています。しかしこれも、ナツにわざわざバラす必要はありませんし、悪意のある泣き真似をするのはやり過ぎです。
 以上のように、志恵は千恵の成長を促すために色々な世話を焼いていますが、必要以上に粗暴に指導したり、わざと意地悪く振る舞ったりしています。まるで千恵への親にも近い庇護欲を隠そうとしているようです。だからこそ、姉妹の近くにいるナツも志恵から千恵への愛情を見誤っていて、「志恵ちゃんがこんなにまでちーちゃん思いだったなんて」(p.194)と考えるのです。

 それでは、なぜ志恵は本心を出さずに千恵にきつく当たるのでしょうか。それこそ、自分のことを後回しにしてまで千恵の世話をすることに、完全に納得しているわけではないからでしょう。
 志恵は高校2年生です。多くの家庭ではまだ親に頼って甘えて過ごしていていい年代です。しかし、志恵の家には余裕がなく母親は多忙です。クラスメイトの多くが部活や恋愛を楽しんでいる一方で、志恵は受験勉強とアルバイトと妹の世話や家の事を全部やらなければなりません。そして、志恵は千恵のように客観習慣が足りなくはないので、人並みに自分の境遇を客観的に見て周囲と比べてしまいます。だから、妹に対して親が果たすべき役割の一部を自分が担っていることを自覚していますし、それがみんなより負担を負った状態であることも分かっています。父親がいれば、家が裕福なら、妹にこんなに手が掛からなければ、時間もお金も何もかもをもっと自分のために使えるのに、という思いは、決して口に出さずとも志恵の中にあるはずです。
 だからこそ志恵は、千恵の親のように振る舞うことを拒否します。からかったり小突いたりといった、年の近い姉が妹にするやり方の範囲で千恵を育て導こうとします。筋道立てて優しく諭すという、親の役割を受け入れたくないのです。「お母さんが新しいの買えってお金くれたから」(p.54)という理由ならば千恵を連れて出かけることや、「来年は受験だからね  しっかりするんだよ」(p.57)と諭して九九の問題を出す時に「二人とも受験でお母さんに負担かけちゃう」(同)と言及することも、あくまで母親の補助として妹の世話をする姉の立場に留まりたい気持ちが表れています。
 以上のように、志恵は自分の生活資源を妹のために差し出すことを、完全に納得して受け入れているわけではありません。それでもそうせざるを得ないならば、それは志恵という登場人物を特徴付ける『足りなさ』だと言えるのではないでしょうか。


《まとめ2》 志恵はまるで親のように千恵を大切にしている。しかし、その本心を隠すようにわざと千恵にきつく当たっている。それは、千恵の親代わりという役割への反発からきている。つまり、身を削って千恵に尽くすことを志恵は完全に納得しているわけではなく、不満も持っている。



3節. 志恵ちゃんはなぜ妹に尽くす?

 それでは、なぜ志恵は多少なりとも不満を抱きながらも千恵の世話を焼くのでしょうか。
 一つにはもちろん愛情があるでしょう。志恵がどれほど千恵を大切に思っているかは見てきた通りです。しかし、志恵が葛藤を抱えながらも持てるものを千恵に捧げるのは、他にも理由があってのことです。

 注目すべきは、気に入った靴が足に合わなくてぐずる千恵に「泣くんじゃないの  中学生でしょ  靴くらいで 靴くらいで」(p.70)と志恵が言うシーンです。口ではそう言いながら、志恵は『靴くらい』のことだと思っている表情ではありません。なぜなら、ここで表れているのは『靴くらい』の問題ではないからです。
 千恵の足のサイズは、「あんたまだ18もないでしょ」(p.69)と言われています。18cmといえば、6歳児の足のサイズの平均がそれくらいだそうです。*3 中学2年生の足の大きさが小学校入学前の幼児くらいしかないとすれば、一般的な個人差の範囲に収まっているとは言いがたいです。そのことは当然、全般的な成長の度合いとも関わっています。千恵は、クラスでも背の高い方ではないナツよりもさらに頭一つ低く、タンスの上の物も取れません。また、体力がなく疲れやすい描写も繰り返されています(p.57, 90)。加えて、学力の低さや情緒・思考の幼さも、身体的な成長と関連していると考えるのが自然かもしれません。このように、その場では『好きな靴が履けない』という不足として表れているものは、千恵の心身の発達にまつわる大きな足りなさの一側面なのです。
 これと同じことが、この場面の直前の志恵にも起きています。陳列されている服が気になった志恵は、値札を見て「たかっ···」(p.65)と呟いて買うのを諦めました。この場における志恵の足りなさは『欲しい服が手に入らない』ことですが、その背後には志恵の人生を圧迫する経済的な足りなさが横たわっています。アルバイトに時間を取られること、友達の雑誌をもらって読んでいること、国立大に受かるために勉強しなければならないこと、全てはそこから生まれています。また、最近失恋した志恵の中では、お洒落をする余裕がないことと恋人ができないことは、多少なりとも繋がっているでしょう。このように志恵にとっても、一つの不足は多くの足りなさの繋がりの一面が表出したものなのです。
 だからこそ志恵は、千恵が嘆いているのが『靴くらい』のことではないと理解しています。生活の中に現れる一つの足りなさは単体のものではなく、諸々が繋がって人生に付いて回る大きな足りなさの一部が表れたものだと分かっています。だからこそ、「いっつもちーだけイジワルする なんで!」(p.70)という千恵の癇癪を痛いほど理解できてしまいます。そうやって足りなさの本質を分かっているから、妹の足りなさをできる限り満たしてやりたいという姉としての感情が湧いてくるのでしょう。
 このように、自分のものを妹に差し出す理由が足りなさを分かってやれるからであることは、作中の志恵の行動を特徴付けています。
 例えば、千恵がガチャガチャをねだった時には、「だめ  自分でおこづかい使いきったんでしょ」「なんでも自分の思いどおりなると思うな」(p.61)と一度ははねつけましたが、べそをかいている顔を見て結局200円を渡します。その時に「これで本当に最後だからね」(p.62)と言っているにもかかわらず、直後に高価な靴をねだられた時には自腹で2000円を出して買ってやることを決めます。
 これらは、教育としては甘すぎると言えるでしょう。初めに諭した言葉を貫き、自分のお小遣いの中でやりくりすることを覚えさせるのがあるべき指導です。しかし志恵は、千恵を育てる親の立場ではなく、分け与える姉の立場にいます。だからこそ、足りなさに泣いている妹には共感せずにいられず、お金を渡さずにはいられないのです。

 加えて言えば、志恵は自分の家庭の余裕のなさもよく分かっています。
 自分が『お姉ちゃんだから』、妹の世話をしなければ南山家が立ち行かないことを理解しているのです。同時に、千恵が少しでも自立できるようにすることが家の状況から言っても必須だと分かっているので、「しっかりするんだよ」(p.57)と何度も教え諭すのです。

 以上のように、志恵が千恵の世話を焼く理由の多くは、『自分が足りなさを知っているから』というところにあります。
 同じ家庭で育ったから現状の不足がよく分かっていて、足りなさの本質を知っているから妹の不足不満に共感し同情します。そして、自分の方がまだ足りなさに抗う力を持っていることも分かっているから、自分の身を削ってでも妹を満たしてやろうとします。同時に、千恵自身の足りなさと家庭の足りなさもよく知っているから、姉として少しでも補おうという義務感も働いているわけです。
 足りなさを知っているからこそ姉として自分を犠牲にしてでも妹に与えずにはいられないこと、これこそが志恵という登場人物を象徴する最大の足りなさなのです。


《まとめ3》 志恵は、足りなさの本質も、妹の千恵や南山家の現状の不足も理解している。だから姉としての役割を引き受けて妹に尽くさざるを得ない。つまり、『足りなさを知っているがゆえに姉であらざるを得ない』ことが志恵の足りなさである。



4節. 藤岡さんは何が足りない?

 次に、藤岡について考えてみましょう。
 藤岡は掴みづらいキャラクターです。登場シーンが少ない上に、第7話で印象が完全に逆転します。そんな彼女を特徴付ける足りなさとは何でしょうか。

 藤岡を分かりづらいと思わせるのは、その二面性です。初登場シーンでの「みんなで手を組んで万引きしねえ?」(p.88)という『冗談』や、「お前  けっこうこいてるよなあ」(p.116)という旭への威嚇、お金がなくなったことを委員長や先生に報告しようという宮沢への「ば──か それじゃあ犯人を私らでしめあげられなくなるだろ」(p.147)という返答などは、粗暴かつ威圧的でまさに不良といった印象を与えます。それに反して、千恵がお金を盗んだことが分かった後の藤岡(p.165‐)は、千恵を許した上で罪の自覚を促して反省させ、未来への希望を説いて諭すという、素晴らしい優しさと聡明さを見せます。宮沢からは、友達のお金を肩代わりしたり家族に尽くしたりといったまるで聖人のような人物像が語られ、千恵や旭とも打ち解けます。
 これは当然のことながら、藤岡の人格が急に変わったわけではありません。読み返してみれば、藤岡が実際に物を盗んだり暴力を振るったりしているシーンはありません。あくまで口では粗暴な発言をしているだけで、はじめから優しく賢い性根を持っていたのです。後に千恵に盗みの罪を教えていることからも分かるように、本気で万引きを考えてはいませんでしたし、お金が盗まれたことを先生たちに報告するのを止めたのも、大事にせずに自分たちで解決した方が犯人にとってもいいだろうと思ったのでしょう。藤岡が不良に見えたのは、視点の多くを担うナツをはじめ、千恵や旭たちが藤岡の良い面に気付いていなかっただけです。
 かといって、藤岡の本質が見えていなかったことを、ナツたちに人を見る目がなかったための誤解だったと片付けてしまうのも適当ではありません。たしかに藤岡は、教室で大声でお金のやりとりの話をしたり(p.106)、千恵が嫌がっているのに気付かず小学生呼ばわりしたり(p.107)、それほど親しくないナツや千恵に強めのボディタッチをしたり(p.88, 107‐108)と、大雑把で配慮に欠けている面があり、誤解されやすいタイプだとは言えるでしょう。しかし、先ほど挙げたようないかにも不良じみた発言は、気遣いができていないという範囲を通り越して、明らかに意図して威圧的な言葉選びをしています。予断を抜きにしてもそういう面があることは、藤岡と親しい宮沢が「藤岡もさ グレてるとこあるけど」(p.172)と言っていることでも分かります。
 そんな風に、まるで性根を隠すように不良じみた物言いを藤岡がするのはなぜでしょうか。

 それを考えるために、藤岡がどのような状況で生活しているかを見てみましょう。
 まず家庭では、家業の手伝いをしながら妹たちの面倒を見て、その上祖母の介護までしています(p.172)。『お姉ちゃん』*4という立場ゆえでしょう、中学生でありながらすでに大人のように扱われ、働いて家を支えています。
 一方学校ではどうかというと、ある意味で家庭と近い状況にあります。この物語の大部分を占める2年6組の登場人物の中で、最も精神的に成熟しているのは明らかに藤岡です。千恵の盗みが発覚した時も、藤岡が反省を促して謝罪を引き出し、事態を収拾しました。あの場においては間違いなく、旭や奥島たちより藤岡の方が大人だったと言えます。また、クラスと部活が同じでよくつるんでいる宮沢と野村の間でも、藤岡は頼られる立場にいます。お金を出せなかった部員の代わりに1000円を出したり(p.166)、旭と険悪になった時に衝突を避けたり(p.117)など、この3人の中でも自然に場を収める役割を果たしています。
 学校でこのように振る舞うのは、優しく聡明なもともとの性格もあるのでしょうが、家で大人として、姉としての役割を果たしているために同年代よりも大人びていることが大きいと思われます。あまり親しくないクラスメイトにも馴れ馴れしく距離を詰めるのは、周囲より精神年齢が高いために、クラス内でのグループ分けのようなものにあまり頓着しないという理由もあるのかもしれません。
 このように、家でも学校でも大人として振る舞い他者のために動く藤岡ですが、両方の場での行動に共通していることがあります。それは、自分の持っているものを差し出すことでその場を収めていることです。
 家の事を手伝うために、言わずもがな藤岡は自分の時間を大幅に犠牲にしています。店の手伝いと妹の世話ですでに部活を休みがちだったのに、さらに祖母の介護が加わったことで、部内でも一番上手かったバスケットボールを完全に諦めざるを得なくなりました(p.172)。そんな幽霊部員の状態で、気に入らない顧問の誕生日プレゼントのためなのに、お金を出せない部員のために藤岡は2人分の1000円を払いました。さらに、話の流れで千恵が返せない1000円は藤岡が出したものということになったので、藤岡がそのお金を千恵に譲渡するという形で一応の決着をつけました。その後に藤岡がもう一度1000円を払って補填したのかどうかは描かれませんが、少なくとも形式上は藤岡が二度自腹を切って1000円出すことで、それぞれ場を収めています。

 以上のように、藤岡はいつも自分の身を削って他人のために動いています。そういう大人としての振る舞いが習慣付いているのでしょう。
 だからこそ藤岡は不良を演じるのではないでしょうか。聞き分けのいい大人の役割を納得して呑み込んでいるわけではないと主張するために。黙って貧乏くじを引くだけではないと自分に納得させるために。
 志恵もかなり家庭に尽くしていますが、藤岡は志恵よりも年齢が低く、それでいておそらく志恵よりも働いています。周囲から大人の役割を割り振られることに、少しでも抗ってみたいと思うのは自然なことだと言えるでしょう。大人に対して反抗的な子供である不良のガワを藤岡が演じるのは、大人にさせられることへのせめてもの抵抗なのです。


《まとめ4》 藤岡はいつも他者のために自分を犠牲にして、大人としての役割を果たす。しかし、大人になることを完全に受け入れたわけではないというポーズとして不良じみた発言をしている面がある。



5節. 藤岡さんはちーちゃんの何?

 前節では、藤岡は自分の果たしている役割を完全に受け入れたわけではないという抵抗の意味で悪ぶっているという結論になりましたが、これと同じ心理で行動している登場人物がいます。志恵です。2節で見た通り、志恵は千恵の親代わりという役割への抵抗として、千恵への愛情を見せずにわざときつく当たっていました。
 他にも、藤岡と志恵には『妹を持つ姉』という共通点があります。そして、志恵の足りなさは妹の千恵の存在によって規定されています。そこで、藤岡は千恵にとってどういう存在だったかを考えてみることにします。それはまた、本作の半面である千恵の成長物語において、藤岡がどういう役割を果たしているかにも繋がってきます。

 まず、藤岡は千恵に対してどう接しているでしょうか。
 「おまえ中身まで小学生みたいだな───!」(p.107)や、「チビ  お前  意外に根性あるじゃねえか」(p.167)に顕著なように、明確に千恵を子供として扱っています。呼び方が『チビ』で固定されているのもその表れです。また、「小学3年生の妹が日曜朝に見てるやつだ!」(p.107)や「ウチの妹達の相手してくれよ  チビとは気が合いそうだ」(p.170)を見るに、自分の妹達に重ねて見ている部分があるのも確かです。千恵を妹のように見ているからこそ、諭し導くために一肌脱いだのでしょう。

 その藤岡が千恵を諭すシーンも詳しく見てみましょう。
 藤岡はまず、「いいよいいよ  やるよチビ」(p.166)と自分の1000円を千恵に明け渡すことで、その次の段階へ繋げます。このやり方が自分の身を削る習慣から出ていることは前節で説明した通りですが、同時にこれは教育として真っ向から正しいものではありません。中学生がお金を盗んだらきちんと返させるのが一般的に正しい指導で、動機や言い訳を汲んで『いいよ』などと普通は言うべきではありません。しかし藤岡は、千恵を教育する親や先生でも、罰を与える被害者や第三者でもなく、分け与えて足りなさを満たす手助けをする姉としての立場にいます。だから『正しく』なくてもこの方法を取るのです。これは、3節で言及した志恵のやり方と同じ、『姉としてのやり方』です。
 次に藤岡は千恵のヘアゴムを取り上げ、大切な物を奪われる気持ちを分からせた上で、「私の妹らもこれ好きだからな  喜ぶからもらっとくわ」(p.168)と言って自身の罪を自覚させます。千恵の心中をよく理解しなければできない鮮やかなやり方です。特に、安物のヘアゴムが千恵にとってとても大切な物だと分かっていなければこう上手くはできません。おそらく、ヘアゴムを誇らしげに付けている姿と、「ちーだけおこづかいすぐなくなる ほしい 新しいゲームとかオモチャとか  もっと」(p.161)というセリフから、金銭や娯楽の状況をある程度読み取った上でその大切さを想像したのでしょう。実際にマジカルラブドラゴンが好きな年代の妹がいたことも、その理解の根底にあるはずです。つまり、妹を持つ姉であるがゆえに、『妹』の足りなさと価値観を理解し、それによって姉として成長を促す行動が取れたというわけです。
 そして、千恵が反省して謝罪できると、ヘアゴムを髪にくくってやりながら未来への希望を説きます。「何もないとか言うなよな」「ちょっと足りなくたって どうだって 楽しんで生きていけるだろ」(p.169)という言葉は、「ちーにはなにもない  なんで!」(p.162)、「ちーたち いっつも足りないから!」(p.165)という千恵の叫びへの返答です。これもやはり、千恵の抱えている不足と不満が理解できるから答えられるのです。「私だって欲しいものがたくさんあるけど手に入らない  みんなそうだ」(p.169)と言うように、それが藤岡も抱えており、乗り越えてきた感情だったからこそまっすぐに答えられるし、答えずにはいられなかったのです。

 このように、藤岡は周囲に大人として振る舞うだけでなく、千恵に対しては姉として振る舞っています。身を削ってまでそのような役割を果たすのは、足りなさを知っているからです。
 つまり藤岡は、あらゆる面で志恵と共通していると言えます。志恵と藤岡という2人の姉は、同じ足りなさを中心に持っている相似形のキャラクターなのです。


《まとめ5》 藤岡は千恵を妹扱いしており、その足りなさを理解しているがゆえに、姉として自分のものを差し出すことで成長に導けるし、そうせずにいられない。つまり、志恵と藤岡は『足りなさを知っているがゆえに姉であらざるを得ない』という足りなさを共有しており、相似形を成している。



6節. ちーちゃんの2人の姉

 前節で、キャラクターの内的な性質においては志恵と藤岡が相似形だと示しました。それでは、この2人は物語の中での役割も似通っているのでしょうか。

 この2人の性質は、『妹』の千恵の足りなさを満たしてやるという方向を向いています。千恵の足りなさの最たるものは、第1章で見たように客観習慣の不足です。そして、その足りなさが満たされるのは藤岡によってです。藤岡が奪われる側の気持ちを分からせたことで、千恵は客観習慣を一つ得て成長しました。
 それでは、千恵の足りなさを満たすことに藤岡は成功し、志恵は失敗していたのでしょうか。
 それは違います。そのことは、藤岡にヘアゴムを取り上げられた時の千恵のセリフ「それはだめ──! それちーの!  お姉がくれた!」(p.167)を見れば分かります。ヘアゴムは、九九を唱えてねだって志恵からもらった200円で千恵が当てたものです。それでも千恵は、それが大切な理由を『ちーが当てた』ではなく『お姉がくれた』と言います。決して素直に表してはいない志恵の愛情を千恵はきちんと受け取っていて、成長を果たす場面でそれが効果を発揮するのです。さらに言えば、志恵がガチャガチャをさせてやっておらず、千恵が大切な物を何も持っていなければ、藤岡は大切な物を奪われる気持ちを千恵に教えられなかったはずです。何も持っていないという千恵の足りなさをほんの少しでも志恵が満たしてあげていたから、藤岡はより大きな足りなさを克服するよう導くことができたのです。
 つまり、志恵と藤岡それぞれの行動が繋がったことで千恵の成長を助けたのです。2人のしたことはどちらも、『正しさ』よりも『妹』の足りなさを満たすことを願い自らのものを差し出すという『姉』としての行為です。おそらくは面識もないであろう2人の姉は、ヘアゴムと献身をリレーして千恵という1人の妹を成長に導いたというわけです。

 ということは、やはり志恵と藤岡はキャラクターとしての性質だけでなく物語の中での役割も同じだということになります。しかも、作品の半面である千恵の成長物語の中で、2人で1つの極めて重要な役割を果たしています。身を削ってでも主人公に与え、その成長に資する役目、物語論で言うところの『贈与者』*5の役を務めていると言えるでしょう。
 千恵の物語は、主人公が2人の姉=贈与者*6の助けを得て成長を果たすという物語なのです。


《まとめ6》 志恵と藤岡それぞれの姉としての献身が繋がることで千恵は成長した。つまり、この2人は千恵の物語の中で贈与者としての姉という役割を共有しており、一体となって千恵という妹を成長へと導いている。



おわりに

 ここまで読んでいただいてありがとうございます。
 志恵と藤岡という2人の脇役について、自分なりに掘り下げて書いてみました。お互いに見も知らない2人の姉が1つのヘアゴムを介して連携し1人の妹を成長に導くところが、この作品屈指のエモいポイントだと思ってるので、そこを語れて満足しています。

 さて、次回は旭の足りなさについて考えます。
 ここまで主要人物の足りなさを中心に本作の大きな構造やテーマについて考えてきましたが、次章でひとまず一区切りの完結としたいと思います。
 次回第5章はこちらです。またよろしくお願いします。




脚注(余談)

*1:カップル】
 完全に余談なのですが、ここで志恵がカップルを避けてわざわざエスカレーターに乗ったのは、最近失恋した心が疼いたからでしょう。それに加えて、カップルがいちゃつくのを千恵に見せたくないという多少過保護な気持ちもあったかもしれません。しかし、わざわざ4階までエスカレーターで上がろうとしたことと、カップルの女性は後ろ姿なのに男性の方は顔が見えていることを根拠に、志恵の「好きな人」とその「彼女」(p.6)にたまたま出くわしてしまったと考えることもできます。あるいは、他人にしては反応が過剰だが好きな人本人だとすれば動揺が少なすぎるので、単なる知り合いがデートしているのを見つけ、休日に妹連れで買い物に来ている自分がカップルと会話するのは惨めな気持ちがして避けたとも考えられます。最後の選択肢はさすがに穿ち過ぎですが、この部分についてはいずれとも解釈できるシーンだと思います。

*2:【靴】
 千恵が欲しがった靴は6980円でした(p.67)が、志恵が母親から靴を買うために預かったお金は5000円でした(p.54の4コマ目)。そのため、この時点ではおそらく手持ちが3円しかない千恵に靴を買ってやるには、差額の約2000円を志恵が出さねばなりません。「バイト代入るのもうすぐだし···  2000円くらいなら」(p.67)と考えた志恵は、勉強を頑張ると千恵に約束させ、自腹を切ることを決めます。しかし、その靴のサイズが合わず、結局はデザインの似た子供靴を買いました(p.71)。この子供靴の方は値段が示されなかったので、実際に志恵が自腹を切ったかどうかは分かりません。子供用なので5000円以内に収まったとも考えられますが、それなりの値段の商品が置いてある店のようですし、5000円以上する子供靴などいくらでもあります。さすがに7000円より高くついたということはないでしょうが、500円や1000円志恵が出したということは十分ありえます。ただ、実際に出したかどうかに関わらず、志恵の人格を掴む上で大事なのは、『千恵のために自分のお金を出すことを決めた』部分なのは間違いありません。

*3:【足のサイズ】
 『子供 足のサイズ 年齢』でGoogle検索して、上位に出たいくつかのサイトを参考にさせていただきました。
『5~6歳では平均17~18cm』というデータが掲載されていたのが以下の3つのサイトです。
『ゼットクラフト楽天市場店』
https://www.rakuten.ne.jp/gold/z-craft/page/shoes-toku-contents/shoes-toku-contents7.html
『トレンドタウン.info』
https://trend-town.info/archives/2283.html
『ママのぎもん』
http://xn--x8j3cxc6c3ta.com/archives/1286.html
また、以下のサイトには、『6歳の平均は18~18.5cm』と載っています。
『rikejo.net』
https://rikejomama.net/shoes-size/
いずれにしろ、足のサイズ18cm未満は就学前の児童レベルなのは変わりません。

*4:【お姉ちゃん】
 姉としての藤岡を象徴するのが、3人の妹たちと一緒に歩いているシーン(p.180の6コマ目)です。妹たちに慕われて仲良さげな様子が印象に残るコマですが、それ以外にも藤岡の姉としての面を強調する描写があります。それが、妹たちがみんなリボンを付けていることです。作中ではもともとリボンは恋人がいることを示すもの(p.86の5コマ目)で、ナツにとってはクラス内での評価と同一視されていきました。なので、藤岡が常に前髪に付けているリボンも、ナツと読者からは満ち足りている側にいることを示すものと見えていたはずです。それがこの場面で、実は妹たちとお揃いだったことが分かります。それにより藤岡のリボンは、妹との繋がりを大切にしている姉の象徴として、その印象を大きく変えるのです。

*5:【贈与者】
 物語論の先駆的研究を行ったロシアの学者ウラジーミル・プロップ(1895ー1970)の著書『昔話の形態学』(1928)で記述された、昔話の登場人物の類型の1つ。主人公に力を与える役割の人物です。プロップの分析はロシアの昔話に限ったものでしたが、一般的な物語に拡張して当てはめられる概念も多く含まれ、『贈与者』という人物類型もその1つです。典型的な物語で言えば、主人公が旅立つ時や強敵と戦う前の成長・強化イベントで、武器をくれたり新技を教えてくれたりする役のキャラクターですね。主人公にとっての師匠や父親・兄、あるいは先輩やボス、味方の科学者などの属性の人物が、典型的に贈与者の役を担います。

*6:【姉=贈与者】
 本作では『姉』がほぼ贈与者と同義になっています。しかし、作者の前作『空が灰色だから』では、そのように無償で与えるという役割の姉・兄はあまり中心的に取り上げられず、むしろ恋愛を含んだ擬似的な姉弟や兄妹の関係が多く描かれました。そして、愛情や救いを与える役割は母親が果たすことが多かったのです。その後に描かれた本作では、母親は背景に後退し、代わって姉が贈与者になりました。そこからさらにいくつかの作品を経た後の『月曜日の友達』(小学館)では、姉までもが背景に後退し、対等の友達同士で与え合うというテーマに結実します。