深読みの淵

漫画とかを独断と妄想で語ります。

『ちーちゃんはちょっと足りない』を深読みする 第1章.ちーちゃんは何が足りないか 

目次


はじめに

 阿部共実さんの漫画『ちーちゃんはちょっと足りない』(全1巻/秋田書店)は、私の一番好きな漫画です。
 『このマンガがすごい!2015』オンナ編1位と2014年度文化庁メディア芸術祭新人賞の受賞をはじめ、多くの称賛を得たこの作品ですが、いくら語れども尽くせぬ奥深さを持った作品だと感じています。
 今年2019年は、この作品が完結して単行本が出版された2014年から数えて5周年の年です。同時に、作中の時間軸である2013年と、日付と曜日が一致する初めての年です。例えば、クライマックスである第8話の内容は6月16日の日曜日の出来事ですが、今年の6月16日も日曜日なのです。さらに、2019年度は主人公たちが20歳になり、成人する年でもあります。『ちーちゃんはちょっと足りない』について、何重にも記念すべき年だと思います。
 この機会に、この作品について私が考えてきたことを、できる限り文章にしてみようと思います。1つの投稿記事を1章として、5章構成にするつもりです。お付き合いいただければ嬉しいです。
 もしこの漫画を読んでいないのなら、この文章はあなたにとって何の意味もないので、今すぐ『ちーちゃんはちょっと足りない』を読みましょう。1巻完結ですぐに読めて、思わず長い長い感想文を書いてしまうくらいの名作です。

 これから書いていく文章では、主にそれぞれの登場人物について考えていくつもりです。各々のキャラクターにとって『何が足りないのか』をキーワードに掘り下げ、そこから作品全体の構造を明らかにしていこうと思います。
 ただし、これから述べることは完全に私の独断に基づいた深読みであることをご了承ください。
 注意点として、この文章は読む人が『ちーちゃんはちょっと足りない』を読んで内容を把握しているか、手元に単行本があることを前提にして書いています。つまり、当然のようにネタバレします。
 ただし、『ちーちゃんはちょっと足りない』以外の作品については、本文中では基本的に言及しませんので、この作品を読んでいれば本文の内容は全て分かるようになっています。文中で『本作』という言葉を使った場合、『ちーちゃんはちょっと足りない』を指しています。
 本作以外の関連する作品に言及する場合は『脚注』で行います。他にも、情報の引用元なども脚注で書きますが、本文に入りきらなかった注釈という名の余談が圧倒的に多くなりそうです。
 また、文中に(p.100)のように指示する数字は、セリフや情報を引用した単行本のページを指しています。「かぎかっこ」が付いている語句は作中のセリフや心内語などの引用、『二重かぎかっこ』が付いている語句は強調のためのものです。

 前置きが長くなりましたが、以下から深読みを始めていきます。
 ちなみにこの第1章では、核心となる部分は1~5節です。6~9節は例示や補足に充てたので、5節までで結論には至ります。 
 ではいってみましょう。



0節. ちーちゃんは何が足りない?

 まずこの第1章では、タイトルロールである『ちーちゃん』こと南山千恵の足りなさについて考えます。
 千恵には何が足りないでしょうか。
 少し考えただけでも、千恵に足りないものはたくさんあります。計算能力や言語能力、それらを含む総合的な学力、身長をはじめとした身体の成長*1、体力*2、集中力*3、手先の器用さ*4、自制心、状況判断力や危機意識、恋愛や性への知識と意識、自身の金銭と家庭の経済力、携帯電話やゲームなどの所有物、父親の存在と母親に関わる時間*5、旅行などの文化的な経験、教養や常識·····。同年代の水準と比較して、ほとんどのものが足りないと言っていいでしょう。
 しかし、その中でも最も重要な足りなさ、千恵という人間を象徴する欠如とは何かを考えていこうと思います。



1節. 善悪の規範が足りない?

 千恵の最大の足りなさを考えるには、千恵の作中での最も足りない行動を見てみるべきでしょう。それはなんでしょうか。
 言うまでもありません。千恵の最大の逸脱は、女子バスケ部が集めていたお金を盗んでしまったことです。
 ここから最も単純に考えると、千恵に最も足りないのは善悪の観念だということになります。常識的な物事の是非と言い換えてもいいでしょう。この社会では人の物を盗むのは悪いことだとされていますが、そのことを理解していなかった千恵は何屈託なくお金を取ってしまったという見方です。野村(もしかしたら宮沢)が口にした「なんか悪びれもなくそういうことしそうだわ」(p.113)という千恵観がこれに近いと思います。

 しかし、この考え方には欠陥があります。千恵自身がお金を取ったことを隠そうとしていることです。例えば、お金を盗んだことを旭や奥島に咎められた時には、バレてないから心配ないと発言しています(p.156)。旭が宮沢たちに千恵の犯行を報告した時には、「いうなよ」(p.159)と旭を詰っていました。
 これだけなら、お金を取った時には悪いことだという認識はなかったが、藤岡が盗んだ犯人を締め上げると発言した(p.147)ために発覚を恐れるようになったとも考えられます。しかし、バスケ部のお金を取る前にも、千恵は母の財布からバレないように500円取るという『盗み』を犯しています(p.91)。そして、そのことで姉の志恵に怒られてしまうとナツに指摘されています(p.92)。そのことを千恵が完全に覚えているかは分かりませんが、バスケ部のお金を取った時に、人の物を取るのがまずいことだという認識が全くなかったとは考えづらいと思います。
 さらに、千恵はバスケ部のお金を盗んだ時、実際に教室に誰もいない機会を捕らえて、人に知られないように行っています。
 これらを合わせて考えると、千恵には盗みが悪いこととされているという最低限の認識があったのは確かです。


《まとめ1》 千恵は最低限の善悪の規範を持っており、盗みが悪事だとされていることを理解していた。



2節. 道徳心が足りない?

 すると、次に浮かぶのは、千恵に最も足りないのは道徳心だという考えです。モラルの欠如している千恵は、悪いことだとされているのは理解しながらも、全く罪悪感を感じることなく人の金銭を盗んだという見方です。
 この考え方は、バスケ部のお金を盗んだことを旭たちに打ち明けた時の千恵を見ると、当を得ているように思えます。本当にお金を盗んだのか旭に確認された時の千恵は、「おう とったぞ!」(p.155)と答えます。上気した笑みを浮かべ、鼻息を荒くして得意気です。
 この様子を見ると、悪事を首尾よくやり遂げたことを誇っているように見えます。まさに、道徳心がなく罪悪感が欠如しているという千恵観です。

 しかし、この捉え方も正しいとは言えません。千恵は盗みに対して罪悪感を感じないわけではないのです。
 母のお金を取ったとナツに告げた時、千恵は「テスト頑張ったご褒美に」(p.91)お金を取ったと言いました。もしも千恵が盗みに全く罪悪感を感じないのであれば、テストを頑張ったからという理由付けをする必要はありません。第1話で所持金が8円しかない(p.8)時点で母のお金を盗めばよく、3円に減り(p.38)、ジョスコでガチャガチャが回せない(p.61)時までその中でやりくりする必要はないのです。
 にもかかわらず、千恵はテストを頑張った時だけ、それを理由にしてお金を盗みました。これはすなわち、テストを頑張ったという『いいこと』で盗みという『悪いこと』を相殺しなければならないと考えているということです。つまり、千恵が盗みに対して罪悪感を抱く道徳心を持っているということに他なりません。

 これは実は、バスケ部のお金を盗んだ時も同じです。
 たまたまナツがお金を欲しがっているのを聞いてしまわなければ、そして、志恵から「ナっちゃんに恩返ししなきゃね」(p.102)と促されなければ、千恵がバスケ部のお金を盗んでいた可能性は低いと思われます。現に千恵は、盗んだ3000円を初めは全額ナツに渡そうとしていました。
 つまり千恵は、通常クラスメイトのお金を盗むのは悪いことだと分かっていますが、よくしてくれているナツの望みを叶えるという『いいこと』を目的としてそれを行えば、手段の罪悪が相殺されると思っていたのです。お金を盗んだことを旭たちに報告した時の得意気な顔は、それが千恵の中で善行と一連の行為だったからです。ナツの「ありがとう」(p.137)の一言で、千恵の心中の罪悪は浄化されていたのです。


《まとめ2》 千恵は悪いことに罪悪感を抱く道徳心を持っていたが、善い目的や理由があれば悪いことの罪を打ち消せると考えていた。



3節. 盗みを告白したのはなぜ?

 前節の内容からは、千恵には道徳心や罪悪感がないわけではないが、道徳や善悪のバランス感覚がかなり通常から外れていると言えるでしょう。千恵に最も足りないのは常識的な感覚であると言うこともできます。
 しかし、ここで終わらずにもう少し考えてみたいと思います。残された疑問として、なぜ千恵はお金を盗んだことを旭たちに話したのか、という点があります。
 千恵の中では、この盗みは善なる目的によって正当化されています。しかし、旭たちはその目的を知りません。ナツと約束した以上、千恵はお金を渡したことを話すつもりはなかったはずです。実際、ナツにお金を渡したことは最後まで言いませんでしたし、お金を誰かにあげたこと自体、問い詰められるまで喋ろうとしませんでした(p.163)。ということは、盗みの目的を旭たちが知ることは、千恵にとっては本来ありえなかったはずです。
 つまり、千恵の想定では、旭たちが聞くのは千恵がお金を盗んだという行為だけでした。これだけでは、千恵の道徳観からしても、留保のない悪事であるはずです。ならばなぜ、あんなにあっさりと得意気に旭たちに話してしまったのでしょうか。
 考えられるのは、旭と奥島と如月は自分に親切にしてくれる友達なので、多少の悪事を打ち明けても咎められることはないと思っていたということです。確かにそういう甘えの気持ちもあったかもしれませんが、それが主たる理由とは考えづらいです。

 その根拠を挙げる前に確認しておきたいのが、千恵は記憶力がそんなに悪いわけではないということです。
 確かに授業内容の暗記は不得意ですが、ナツたちに口頭で問題を出してもらった「天下の台所」(p.33)は、表記が不完全ながら覚えていました(p.81)。また、ナツと交わした約束は決して忘れずに守っています。他にも、おそらく前日に聞いた『お金がほしい』というナツの望みと恩返しを促す志恵の言葉を、お金を手に入れるチャンスに思い出して行動に移しています。さらに、わずかに混同しながらもナツの言葉をほぼ完全にオウム返し*6したり(p.19)、意味をあまり理解していないであろうナツの言動を、翌日になってから単語を拾って再現*7したりする(p.46)場面もあります。
 これらを総合すると、千恵は、具体的な出来事と結び付いた記憶や、会話の中での聴覚的な記憶は、かなり正確に覚えていると言えます。同時に、特にナツの言葉には常に耳を傾けており、記憶に残しているということも言えます。
 このことを前提に、千恵が盗みを告白した主な理由が友達としての甘えではないことを説明します。

 まず、以前にナツに母親からお金を盗んだ報告をした時でさえ、「テスト頑張ったご褒美に」という言い訳を付けていることが挙げられます。
 母親の財布から500円玉を抜き取るというのは、もちろん悪いことですが、家庭内のことで金額も小さく、まだ怒られて済む範囲のことです。それを話した相手も、一番親しい友達のナツです。それでも千恵は努力の報酬であるという正当化をしながら報告しました。そして、それでもナツは「そんなのダメだよ─────!」(p.91)と強く千恵を咎めました。さらに「それは使わずに返したほうがいいと思うよ」(p.92)と諭され、少なくともその場では素直に従い、盗んだお金を使うのをやめています。
 ナツとの会話内容に高い記憶力を発揮する千恵が、この出来事をすっかり忘れて、旭たちから咎められないと思って盗みの報告をするでしょうか。
 加えて、打ち明ける相手のうち奥島と如月は、ナツほど親しい相手とは言えません。そして、3000円という額は千恵にとって間違いなく大金ですし、それを学校でよく知らないクラスメイトから盗むことは、母親の財布から硬貨を抜くのとは比べ物にならないほど重大です。正当化する理由も付けずに打ち明けて、友達だから責められないと千恵が考えていたとは、ちょっと考えにくいです。

 さらに付け加えれば、千恵は奥島が「すき」(p.36)で、奥島からも好かれたいと思っています。そして、ナツから「お金に汚い女の子は(中略)奥島くんに嫌われちゃうよ」(p.39)と諭され、お金への執着を断ち切ろうとしています。
 これも千恵の記憶に残りやすいナツとの会話です。このやりとりを千恵が全て覚えていたとは断言できませんが、少なくとも奥島に自分の汚い部分を見せたくないという感覚はこれ以降も持っているはずです。その千恵が、現金の盗難というお金に汚い悪事をほとんど自発的に奥島に晒したことが、許してもらえるだろうという甘えからだけだったとは、やはり考えづらいです。


《まとめ3》 千恵は、自分の悪事を旭たちが責めずに許してくれるとは思っていなかったし、そもそも悪事を知られたくないと思っていた。



4節. 盗みを悪事だと思っていなかった?

 前節で述べたことは、実際の千恵の行動と明らかに矛盾するように見えます。実際には千恵は、ほとんど自分から盗みを告白したじゃないか、と。
 しかし、この矛盾を解消する考え方があります。そもそも千恵は、自身の行為を旭たちが悪事と見なさないと思っていた、という捉え方です。
 どういうことかというと、まず、千恵の中では、『お金を盗む→ナツにあげる』という一連の行動が善行としてラベリングされています。なので、そのうちの前半部分だけを相手に伝えても、それは善行の一部として受け取られる、少なくとも罪悪は打ち消された状態で伝わる、というのがここでの千恵の感覚なのです。
 もちろん、後半部分を知らない旭たちにとって、前半の千恵の行為は何ら酌むべき事情のない単なる悪行です。しかし千恵は、自分と相手との情報差を意識していません。自分にとっての善行をやり遂げたことに満足している千恵は、自分にとっての善行は旭たちにとっても善行だというところまでしか思考がたどり着いていないのです。つまり、相手の立場から自分の行動がどう見えるか、という想像をしていないのです。
 また、言うまでもないですが、恩返しとして友達に贈るという目的を知ったところで、旭たちは盗みの罪悪が相殺されて善行になるとは考えませんし、それが一般的な感覚です。そういう意味で、千恵は二重に相手の認識を測り違えていたと言えます。
 このように、ここでの千恵には、自分が他者からどう見えるか、相手の立場ならばどう考えるか、という発想がはっきり不足しています。一言で言えば、『客観性』の欠如です。

 そしてこの客観性のなさは、千恵の最大の逸脱であるお金の盗難とも繋がっています。
 千恵は道徳や善悪の観念を持っているが、そのバランスが著しく偏っていると先に述べました。これはすなわち、自分の中の道徳観を周囲の人や世間一般と比べて客観的にすり合わせることを行わなかったということです。その結果、恩返しという善い目的によって盗みという手段の罪悪が相殺されるという、明らかに規範から逸脱した考えに基づいて行動してしまいました。
 また千恵は、自分がお金を盗む相手のことを全く考えていませんでした。千恵は、自分が藤岡にヘアゴムを奪われ、妹にあげるためにもらっておくと言われて初めて、盗まれた側にとっては目的が手段を正当化しないことに気付きます(p.168)。つまり、自分と違う立場の人間の気持ちを想像して自分の行為がどう捉えられるかを考えるということをしていなかったために、人の物を盗む際に躊躇しなかったのです。やはり、客観性のなさが盗みという過ちに通じていると言えます。


《まとめ4》 千恵は、旭たちが盗みを悪事だと捉えないと考えて告白した。また、盗む時に持ち主の気持ちを考えなかった。どちらも、他人の視点からどう見えるかという考えの欠如である。つまり、千恵は客観性のなさによって、規範を逸脱した行動を引き起こした。



5節. 客観性が足りない?

 さて、いよいよ核心に近付いてきました。
 千恵の重大な逸脱行動は、客観性のなさによって引き起こされていました。
 それでは、千恵の最大の足りなさとは客観性の欠如なのでしょうか。千恵は本質的に、他者から自分がどう見えるか、相手がどのように考えているかを想像する能力に欠けているのでしょうか。

 それを考える上で参考になる描写があります。
 第1話の後半、理科の小テストが全く分からない千恵は、「図から読み取る」(p.19)というナツの助言の断片を思い出し、図中の膀胱の形から陰嚢を連想、答えのうち一つは陰嚢だと考えて全ての解答欄を『キンタマ』で埋めました。そのことをナツに突っ込まれた千恵は、驚いた顔をした後、「かーっ」と赤らめた顔を両手で覆って俯きました(p.23)。
 同じ描写がもう一度あります。第3話の冒頭、自宅の一室で一人でマジカルラブドラゴンごっこに興じていた千恵は、志恵が部屋に入ってきて声を掛けた瞬間に真顔に戻り、やはり「かーっ」と赤らめた顔を両手で覆って俯きますが、志恵は「団地中に轟かんばかりの勢いで聞こえてるから」と追い討ちを掛けます(p.54)。
 この2つの場面、それぞれの前半はまさに千恵の客観性のなさを描いています。ナツが言う通り、答え全部が睾丸になるテストなんてありえませんし、たとえ千恵が真面目に点を稼ごうとしたとしても、採点する先生からしたら中学生女子らしからぬ下ネタでふざけているようにしか見えないでしょう。また、そう広くはないであろう千恵の家で、隣室に志恵がいることを知らないとは思えず、ふすま一枚隔てただけの志恵に自分の大声が聞こえているのは、普通に考えて分かることです。
 それぞれの場面で、千恵は自分の考えや遊びにのみ集中し、周囲の人間にそれがどう伝わるかを全く意識していない、客観性のない状態だったのです。
 それでは、その後の赤面して顔を覆う千恵はどうでしょうか。これは明らかに、恥ずかしがっている態度です。
 この『恥』という感情はどこからくるのでしょうか。Wikipediaの『羞恥心』の記事の冒頭が参考になるので、以下に引用させて頂こうと思います。
 “ 羞恥心(しゅうちしん、英: shame)、恥、恥じらいとは、対人場面における何らかの失態の結果や、失態場面の想像によって生じる対人不安の一種である。”*8
 ここで恥とは、対人関係での失態に対する不安だとされています。つまり、自分が何か失敗したことに対して、相手がみっともない、おかしい、期待外れだと思うことを想像して、人は恥の感情を抱くのです。もちろん、『自分で自分が恥ずかしい』という感情もありふれたものですが、これも、自分を対象として外から評価するというメタ認知に基づいたものです。いずれにせよ、恥ずかしいという感情は、自分を見る他者の視点を想像する客観性によって引き起こされると言えます。
 ということは、恥の感情を発露する千恵は、客観性を発揮しているということになります。分かりやすい羞恥の態度が二度繰り返されているのは、千恵に他者からの視線を想像する能力があることの明示です。 
 ここにきて私たちは、なんとなく共感していただけのナツのモノローグ「あっ  ちゃんと恥ずかしいんだ」(p.23)を理屈で説明することができます。この時のナツと我々の気持ちを冗長に言えば、『千恵は他者の視線を想像する能力を持っていないと思っていたけど、実はちゃんと自分を客観的に見て羞恥を感じることができたんだ』ということなのです。

 このように、千恵には客観性が備わっていて、相手の立場や自分への視点を想像する能力があります。それでは、千恵が実際に客観性に欠けた行動を取っているのはどういうことでしょう。
 もう少し詳しく見てみましょう。
 オールキンタマの答案を書き、それを得意気にナツに見せたところまで、千恵は客観的な視点を欠いています。しかし、ナツが突っ込んだところで初めて気付いた表情になります。ここで、ナツという他者の指摘を受けることによって、千恵は客観性を取り戻します。そして、復活した客観性に苛まれて赤面するのです。
 第3話でも同じです。一人でマジカルラブドラゴンになりきっている千恵は客観性が引っ込んだ状態です。そこに志恵という他者が現れた瞬間に、千恵は客観性を取り戻して恥ずかしさを感じます。隣室の志恵や近隣の住人に自分の大声が聞こえていたことも、さっきまでは意識していませんでしたが、客観性が戻ってきて赤面している状態では理解しているはずです。
 要するに千恵は、能力として客観性を備えているが、それを発揮できていない時が多いということになります。そして、他者からの視点を意識した瞬間に客観性を取り戻すのです。
 つまり、千恵の足りなさは、自分を見ている具体的な他者の存在を意識しなければ客観性を発揮できないところにあります。それゆえに、客観性をもって判断して行動するべき場面で、必要なレベルの客観性を働かせることができないのです。一言で言えば、『客観習慣の不足』です。

 この客観習慣の不足によって、千恵は、行動する前に自分のことを相手や第三者の視点で見てみることをしませんでした。
 具体的には、一般的なバランスの取れた道徳観を考慮することができませんでした。お金を盗む前に盗まれた相手の立場に立って考えることもしませんでした。また、盗んだお金を贈られた相手が純粋に喜ぶだろうか、と想像してみることもしなかったはずです。さらに、自分にとっての善行が見え方の違う他者にとっても善行か、と考えてみることもしませんでした。
 それらの結果として千恵は、お金を盗んで友達に贈った上に盗んだことを人に話すという、普通ならありえない重大な逸脱行為に至りました。
 客観習慣の不足こそが、作中での千恵という人物を象徴する最大の足りなさなのです。


《まとめ5》 千恵は能力としての客観性自体は備えているが、それを適切に発揮する習慣が付いていない。この『客観習慣の不足』が、千恵の最大の足りなさであり、足りない行動の原因である。



6節. 客観習慣の不足と実際の行動

 前節で見たような、客観能力がないわけではないが客観習慣が不足しているという性質は、最も足りない行動であるお金の盗難以外にも、千恵の様々な言動に反映されています。それが分かりやすい4つの例を順番に見てみましょう。

 まずは、第1話中盤の蜂にまつわる騒動です。
 授業中に定規とペンで遊んでいる(p.12)千恵は、自分だけの世界に入っていました。その後、教室に入ってきた蜂に向かって進み出て、ナツを見て自信ありげに頷いてみせた(p.13)時点では、ナツからの視線だけを意識しています。しかし、蜂を叩き落とし、「南山さんすげぇな」(p.15)という男子の声を聞いた時に、クラス中から注目を集めている自分に気付き、ノリノリでポーズを決めます。その直後に蜂に刺されてしまうと、大声で泣きながら「おしっこかけて──」(p.17)と叫んでおり、周囲の目を全く気にせず恥を感じない状態になってしまっています。その後の昼食の時間にナツに「わんわん泣いちゃってさ」(同)と言われ、「? 泣いてないが?」と答えた時は、クラスメイトの前で大泣きしたことを恥ずかしく思う気持ちは取り戻していますが、それをみんなが見ていたのでごまかすことはできないという想像力までは働いていません。
 以上のように千恵は、基本的に状況を客観的に見て行動できていません。ただし、周囲の発言などで具体的な他者からの視線を意識することで、客観性のレベルが上がっています。周囲への注意と想像を自分で適切にコントロールする習慣の不足だと言えます。

 2つ目の例として、第2話では、奥島にもてようとする千恵が描かれます。
 もともと千恵は奥島にただ懐いていました。それが、男の子と付き合うことについてナツと話したことで、奥島から好かれる自分になることを意識し始めます。ナツの「ファッション誌読んだり」(p.38)しないと恋人ができないという言葉を参考に、志恵のファッション誌で『天然娘』の特集を読み、志恵の解説の結果『あほになればもてる』という結論にたどり着き、奥島の前で『あほ』を演じます。
 まさに第2話全体が、相手からの見え方を気にする習慣のなかった千恵が、他者の指摘によってどう見られるかを考えて行動するようになるシークエンスなのです。しかし、もともと自分を客観視する習慣の足りない千恵なので、自分の論理の繋がりや、自分が本当に魅力的に見えるかを客観的に検討しておらず、結果的に大幅にズレた行動を取ってしまいました。
 同時に、男の子と付き合いたいかとナツに訊かれた千恵が「············ もうすでに付き合っていた事実!」(p.37)と「ばればれの見栄」を張った一コマの中でも、同じことが起こっています。おそらく男子と交際することなど考えたこともなかった*9千恵は、ナツから話を振られたことで『すでに付き合っている方がかっこいい』と自分の見え方を考えて嘘をつきました。しかし、相手から見るとその嘘がばればれだというところまでは考えなかったわけです。

 3つ目の例として、第3話で、志恵に買ってもらった靴とヘアゴムを千恵がナツに見せつけようとするシーンがあります(p.73)。
 普段の千恵はお洒落に興味を示さず、小学生の頃から履いていたボロボロの靴にも自分から不満を言うことはありませんでした(p.54)。これは、自分の格好を客観的に見て評価する習慣がないということです。しかし、自分の気に入った新しい靴とヘアゴムを入手した千恵は、さらにそれを見てくれる具体的な相手であるナツが現れたことで、相手から見た自分を強く意識したのです。
 
 4つ目の例は第6話にあります。ナツが欠席していた時のことを説明しようとする千恵は、「昨日  旭とおぐじまとぎざらぎと3人でたべた  ひるごはん」(p.144)と発言して、「ちーちゃんがそこにいなかったことになってるよ」と突っ込まれてしまいます。
 自分を数に入れずに人数を数えている時、千恵の頭の中では主観的な自分の視界を思い出し、自分から見えている人を数えているのでしょう。自分を含んだその場の全員を客観的に想像せずに説明しているということであり、典型的な客観習慣の不足です。

 事例を挙げるのはこの辺りまでにしますが、この他にも細大さまざまな行動に、客観習慣の不足という千恵の性質は表れていると思います。


《まとめ6》 客観習慣の不足は千恵の様々な行動に影響しており、通常からズレた行動を取ってしまっていることが多い。



7節. 客観習慣の不足と言語能力

 さらに、客観習慣の不足は、千恵の言語能力とも関わっています。
 千恵は会話が得意とは言えません。言葉が足りずに言いたいことが伝わりにくいことがよくあります。また、長い文章を話すことは少なく、「休んだ学校なんで!」(p.134)のように、単語やフレーズの順番がバラバラだったりして繋がりの分かりにくい発話が多いです。
 
 ただ、千恵の言語能力の低さは、単語や文法の知識が足りないことが直接の原因ではないと思います。
 確かに千恵は『天然』が分からないなど、単語知識の不足はありますが、発言内容を見ると、日常会話が困難なほど語彙が乏しくはなさそうです。また、「高2にもなって 彼氏いたことないくせにー  この前も好きな人に彼女がいたって ごはんも通らないほど落ちこんでたくせに──」(p.6)のように、反撃のために用意していた文章であれば、長くて文法的にも筋の通っている発言ができています。他には、「フリーソフトドリンクのこと!  一回はらったらのみほーだいという事実!」(p.104)なども文法の混乱のない発言ですし、千恵には難しそうな言葉も、日常的に馴染みがあれば意味も含めて理解していることが分かります。
 それでは、千恵の話すことが分かりにくくなる原因は何なのでしょうか。

 千恵の伝わりにくい発話は、2つのパターンに分けることができます。
 まず1つ目は、必要な言葉が抜けるパターン。抜ける言葉は主に主語です。例えば、通学途中に出会った旭に言った「彼氏いないいないって言ったらなみだめで出ていってよ─── ふまれたけどぜんぜん痛くないし 笑えるだろ!」(p.7)という発言。旭には「は? 意味わかんねー」(p.7‐8)と言われてしまいます。この文章は『お姉に』という意味上の主語が抜けています。それさえ補えば、笑えるかどうかはともかく、千恵が朝から姉妹喧嘩をしたことは伝わったでしょう。また、教室から出てきた旭に「旭 おわった!」(p.29)と声を掛けたのも、「何が?」「千恵は相変わらず言葉が足りねえな」(同)と返されています。『何が?』も『言葉が足りない』も主語がないという指摘です。これも『旭 掃除はおわったか!』とでも補えば意味が通じます。
 そして2つ目の伝わりにくい発話パターンは、言葉の順序の入れ替わりです。これは頻繁に起こっていますね。「欲しい! ファッション誌  したい! オシャレ」(p.38)、「じゃあお母のとって サイフから ためるのでそれで」(p.136)、「ほしい  新しいゲームとか オモチャとか  もっと」(p.161)などで顕著です。述語、特に自分の行動や願望を文の最初に持ってきて、目的語を後ろに回す発言が目立ちます。もちろん、多くの発言で起こっているので、先に挙げた「休んだ学校なんで!」のように、他者の行動を言う述語が先に来る場合もあります。
 また、「するな みんな しんぱい ないから バレて」(p.156)のように、焦っていると語順の混乱が強調されるようにも思えます。

 この2つのパターンの不規則な発話はどうして起こるのでしょうか。
 まず1つ目の主語が抜けるパターンを考えてみます。自分が喋っている時は、何について喋っているのか自分はもちろん分かっています。なので、その話の主体が『何をした』『どうだった』ということを伝えようとします。しかし、それを聞く相手は、何についての話かという前提を共有していません。それゆえに、主語がないことで話が伝わらないということが起こるのです。つまり、相手と自分が前提として持っている情報の差を考慮していないということなので、典型的な客観習慣の不足に起因する状況です。
 もう1つの、語順が混乱するパターンも原因はほぼ同じです。何についての話かを飛ばして『何をした』『どうだった』を話そうとするので、文頭に述語が来ます。その後に、それだけでは伝わらないことに気付いて目的語や修飾語を入れるので、語順がバラバラになるのです。自分が言ったことが不十分だと気付いて補足する分、主語がないパターンよりは相手のことを考えていると言えます。しかし、自分が話すことを口から出す前に、伝わるかチェックする段階を踏んでいないという意味で、客観習慣の不足によって引き起こされていることに変わりはありません。
 自分の願望を言う時や焦っている時に語順の混乱が強くなるのも、自分の感情だけで精一杯の状態で発言しているために、普段よりさらに客観性が働いていないからだと考えられます。

《まとめ7》 客観習慣の不足によって、千恵は相手が分かるかどうかをあまり考えずに話すので、伝わりにくい発言になることが多い。



8節. ちーちゃんはずっと足りないまま?

 ここまで見てきたように、千恵の最大の足りなさは客観習慣の不足でした。そして千恵は、この足りなさが原因で、重大なものから些細なものまで様々な逸脱した行動や発言をしてしまっています。それでは、この足りなさはどうしようもないのでしょうか。千恵は、客観習慣の欠如をそのまま抱えて生きていくのでしょうか。
 その答えは、明確にNOです。なぜなら、習慣は変えられるからです。
 千恵に足りないものが客観性という能力自体だったなら、それ以上向上することはなかったかもしれません。しかし、客観性を働かせるという習慣であれば、周囲の環境や意識的な習慣付けによって改善することができるはずです。
 そして、実際に作中には、千恵が少しずつ客観習慣を身に付けていることを示す描写がいくつもあります。それらの例を見てみましょう。
 
 まずは、繰り返しの言及になりますが、千恵が盗みを謝罪したシーン(p.168)です。
 この場面の前までの千恵は、自分がお金を盗んだ相手のことを全く考えていませんでした。しかし、藤岡に盗まれた側の気持ちを体験させられたことで、自分にお金を盗まれた相手の立場に考えが至り、心から反省して謝ることができました。違う立場を経験することで、相手の立場に立って考えることができるようになったわけです。これはつまり、客観的な視点を得ることができたのだと言えます。
 そして、この経験は千恵にとても強い印象を与えたはずです。もしも次に他人の物を盗む誘惑に駆られたとしても、千恵はこの時のことを思い出すでしょう。そして、盗まれた相手のことに考えが至り、盗むことをやめるに違いありません。だとすれば、特定の状況で他者の立場に立って想像を働かせることを習慣付けることができたということになります。

 このような、他人の気持ちを想像するという形で客観習慣を身に付けていくには、他者に共感する能力が大きな助けになります。そして、千恵は高い共感能力を持っています。
 例えば、小学1年生の時の千恵は、同じ団地に住んでいるだけのナツに対して、喋る前からすでに仲間意識を抱いていました。そして、偶然なのか、それとも何かを察したのか、ナツが心の中で欲しがっていた『ふしぎの国のアリス』を取ってきてナツに手渡しました(p.94)。
   また、ナツが「お母さんなんて大っきらい!」(p.102)と駄々をこねるのを聞いて、「かわいそう  ナツ!」(同)と同情するシーンもあります。 
 最も強く共感能力が発揮されるのは、終盤にナツと橋の上で出会った場面でしょう。笑顔でナツに駆け寄ってきた千恵は、ナツが泣いているのを見て泣き出してしまいます。その理由を尋ねられた千恵は、「だって泣いてるから ナツ」(p.218)と答えるのです。
 これらのような高い共感能力は、描かれている限りでは最も親しいナツに向けられることが多いです。そして、ナツへの仲間意識と同情がお金を盗む引き金となったのも事実です。
 しかし、自分が盗まれた側に立ったことで相手の気持ちを理解したように、共感をナツ以外に及ぼすこともできていますし、それによって客観習慣を拡張できています。これから多くの人と関わって様々な経験をすることができれば、千恵の共感能力は客観習慣を身に付けていくための強い助けとして働いていくはずです。

 その他にも、作中で客観習慣が身に付いていっている描写があります。
 例えば、6節では客観習慣の不足の例として挙げた第2話の千恵の行動も、見方を変えれば客観習慣の発達の過程でもあります。
 奥島にもてようとする千恵の計画は上手くいったとは言えませんが、男子から自分がどう見えているかを意識したこと自体が、千恵に足りていない客観視点の導入だと言えます。恋愛についてのナツとの会話の中でその視点を意識し始めたわけです。そして、奥島に好印象を持たれるためにある人格を『演じる』という行動選択は、明らかに客観習慣の強化によって現れた発想です。

 物語を通じて千恵が客観習慣を発展させる描写はまだあります。
 第4話では千恵は、社会のテストで23点を取って大喜びします(p.80)。もちろん、クラスメイトと比べれば相当低い点数です。しかし千恵は、いつもの自分の点数と比較して高得点だと喜んでいるのです。他人と比べて見ることをせず、自分の基準だけで自分を評価していると言えます。
 その後に、ナツとグッズショップに行った千恵は、「ちーちゃんは何か欲しいものあった?」(p.89)と尋ねられ、首を振って自分の頭の『マジカルラブドラゴン リュー』のヘアゴムを指差します。これがあるから他の物はいらないというわけです。一般的に見て、女児向けアニメの200円のガチャガチャのグッズは、中学生が身に付ける物ではありません。しかも、目の前には学校の女子たちの間で流行している1000円以上のリボンがあります。それでも千恵は、自分が可愛いと思ったヘアゴムで満足していると胸を張るのです。ここでもやはり、周りと比較せずに自分の基準だけで考えています。
 以上のように、第4話時点での千恵は、自分を客観的に他者と比べることはせず、自分が主観的に満たされているかどうかだけで自分の境遇を評価していました。これはまさに、客観習慣の不足の一側面だと言えます。
 それに対して、第7話で盗んだお金を返すよう言われた千恵は「ちーだってほしい!  ゲームくらいみんな持ってる!」(p.156)と叫びました。また、藤岡たちに盗みが明らかになった後に、「ちーだけ おこづかい すぐなくなる」(p.161)「もっともっともっと いっぱいいっぱいほしい ちーにはなにもない  なんで!」(p.162)と語ります。
 ここでの千恵は、自分を他者と比べています。自分を『みんな』と見比べて、『みんな持ってる』ものを『ちーだけ』持っていないことに気付いています。そして、そのことを理由に『もっといっぱいほしい』と言っているのです。つまり、自分を外的な基準である他者と比較し、その間にある差を認識して、不公平を是正するよう主張しているわけです。この時点では明らかに、自分と他者の境遇の差を客観的に評価する視点が千恵の中に現れています。
 この時の千恵の発言は、お金を盗んだことを責められた時に出てきたものです。千恵の中でお金を盗んだことは、ナツに贈るという目的によって正当化されていますが、それを話すわけにはいきませんでした。またその目的は、自分が持っている2000円を返さない理由にはなりません。そのために別の言い訳として千恵が持ち出したのが、人より持っていない自分が不公平を均すために人から奪ったというものでした。
 また、2000円という自分にとっての大金を急に手に入れた時、千恵はプレステ3を買うことを考えています(p.135)。それまでは全くの非現実だっただろうゲームを買うことを、一定の現実味を伴って考えてみた上で、お金が全然足りないという現実に直面しました。このことも、みんなが持っているものを自分は全く持っていない、ということを意識するきっかけになったのではないでしょうか。
 これらの直接間接のきっかけによって、他者と自分を比較してその差を認識するという見方が現れたのです。
 ただし、自分を他者と比べる発想が、それ以前の千恵になかったわけではありません。第3話時点で、気に入った靴が足に合わなかった千恵は「いっつもちーだけイジワルする  なんで!」(p.70)と泣き叫びました。『ちーだけ』と、他者と比較する視点がすでにあります。しかし、ここではまだ、漠然と自分が他者より恵まれていないという不満を吐露しているにすぎません。他者と比較しての具体的な差を認識していない、ごく不明瞭な客観視点です。
 それに対して、前述のきっかけを経た千恵は、『ゲームなどの他の人が持っている物を自分は持っていない』という風に、自他を比較する基準を明確にして、具体的な格差を言語化できました。千恵の中に存在した客観的な視点が、経験によってより強く明瞭に表に出るようになったわけです。まさに、客観習慣が発展していると言えます。


《まとめ8》 客観習慣は経験によって獲得できるし、千恵はそのための素地を持っている。実際に作中でも、いくつもの場面で客観習慣を身に付けていっている。



9節. ちーちゃんは大人になる

 さて、前節の後半を読んで、多くの方は『客観習慣を得ることで他人と比べてしまって不満を抱くのなら、客観習慣が足りないままの方が良かったのでは?』と思われたことでしょう。これは一面では正しいです。
 客観習慣の不足は千恵の最大の足りなさであり、重大な失敗の原因になりました。しかし、千恵という人物を象徴する大きな特徴でもあります。千恵が単なる迷惑な奴や悪人ではないのと同じく、客観習慣の足りなさという性質もただ有害というわけではないのです。
 例えば先ほど述べたように、自分を客観的に他者と比べる習慣がなければ、他人より劣っていたり不遇だったりすることを気にせず、純粋に自分が満足すれば幸福に生きられます。これはつまり、足りなさゆえに自分の足りなさを見ずに済んでいるとも言えます。
 また、千恵は、奥島や如月、和解後の藤岡、小学1年生の時のナツなど、多くの人にすぐ懐いています。相手に遠慮したり空気を読んだりといった客観的な習慣がないことで、屈託なく相手の懐に入り、親しくなれる部分があると思います。
 このように、客観習慣が足りないことは、千恵の人生にプラスの影響も与えています。しかしそれでも、千恵は作中で少しずつ客観習慣を身に付けていますし、これからも身に付けていくでしょう。なぜなら、客観習慣の不足は幼さでもあるからです。

 幼い子供は、物事を主観的に感じ取ることで精一杯です。そこから少しずつ思考力が育つ中で、直接見ることのできない他人の考えを想像したり、自分が外からどう見えるか考えたりする客観性を獲得します。そして、適切に客観性を働かせることを習慣化することで、大人として自分の立場を自覚し、周囲から期待される行動が取れるようになっていきます。
 千恵は、身体も中学生にしては小さいですが、精神の成熟も同年代の水準に達しているようには見えません。千恵が精神的に幼いのは、客観習慣が育っていないことと相同関係にあると言えます。
 例えば、7節では千恵の客観習慣の不足が言語能力に表れていることを述べましたが、語の脱落や語順の混乱といった言語の未発達は、まさに幼い子供に特徴的なものだと言えます。*10
 また前節では、千恵は作中で自分と他人の境遇を比べる視点を身に付けたと言いました。しかし、他のみんなが持っているから自分も得られなければ不公平だという考え方は、ナツは小学3年生ですでに身に付けていたものです。旅行先で光るおみくじを母親にねだる回想シーンの「ほかの子だってたくさん買ってるもん」(p.130)というセリフにそれが表れています。比較すると、千恵の客観習慣の成長が遅いことが分かります。
 子供は子供ならではの無邪気さや喜びなど、大人にないものを持っています。しかしそれは基本的に子供のうちだけ持っているもので、そのままそれだけを持ち続けている訳にはいきません。千恵が客観習慣の足りなさから得ているものの多くは、子供としての強みです。むろん、客観習慣の足りなさは千恵自身の人格の特徴でもあるので、完全に捨て去るべきというわけではありません。しかし、千恵はこの先、客観習慣を少しずつ身に付け、大人としての強みを優先していくことになるでしょう。
 
 そして、千恵は徐々に、しかし着実に大人に向かっていっています。客観習慣が物語の中で身に付いていったことは前節で述べた通りですが、それ以外にも千恵の成長の兆しは表れています。
 例えば第6話の終盤では、奥島が「来年  受験だから  南山さんが放課後とかに勉強教えてって」(p.151)と言っており、千恵が学力を向上させようと自主的に行動しているのが分かります。これは第3話で志恵に「来年は受験だからね  しっかりするんだよ」(p.57)と言われたことと、欲しい靴を買ってくれたら勉強を頑張ると約束したこと(p.67)を受けてのことでしょう。千恵は勉強がとても苦手ですが、姉からの働きかけをしっかり受け止め、少しでも成長するために自ら努力をし始めているのです。
 また、第8話の終盤、千恵は一人でバスと電車を乗り継いで遠出をし、「すごいだろ ちー!  大人!」(p.218)と誇ります。ナツもまた「ちーちゃんも変わろうとしてるんだね」(p.219)と成長を感じ取ります。第6話で努力し始めた千恵が描かれ、第7話でも千恵の客観習慣の成長という幼さの克服が描かれていたので、物語の終盤では千恵が大人に近付いていく描写が重ねられていると言えます。そして、色々な経験をすることは、また少しずつ客観習慣を身に付ける助けになるはずです。
 ナツが感じ取った成長と言えば、オールキンタマのテストに突っ込まれて赤面している千恵(p.23)もそうです。あの恥ずかしがるという感情が客観性の発露だというのは前述の通りです。それに対してナツが「あっ  ちゃんと恥ずかしいんだ」(同)と思っているので、ナツにとってこの反応が意外だったと分かります。7年来の付き合いのナツからしても恥ずかしがる千恵が新鮮だったということは、客観性が恥という形で表れる思考の習慣が最近身に付いたものだと想像できます。第1話に至るまでにも、千恵の客観習慣は成長してきていたということです。
 それから、最終第8話の後にナツと一緒に団地に帰った千恵は、行き先も告げずに出かけて長時間帰らなかったことで、志恵にこっぴどく叱られるでしょう。しかし、志恵が本当に自分を心配していたことを、千恵は強く感じ取るはずです。そうして、自分の行動が誰かを心配させないか考えるという、客観的な思考の習慣へ少し近付くでしょう。その結果、出かける時には行き先と帰宅時間を言っておくという、具体的な習慣としても身に付けていくはずです。物語が終わった後も、千恵の成長は続いていくのです。
 以上のように、千恵はこれまでも少しずつ客観習慣を身に付けてきていて、作中での経験でこれまでより大きく成長し、これからもさらに適切に客観性を発揮できるようになるでしょう。それによって、自分を省みてより良い行動を取ったり、相手の気持ちを慮ったりできる人間に成長していくはずです。他の人よりゆっくりとですが、確実に千恵は大人になっていくのです。


《まとめ9》 客観習慣の足りなさは幼さでもある。しかし、千恵は物語が始まるまでも、物語の中でも、あるいは物語が幕を閉じた後も、客観習慣を少しずつ身に付け続けている。つまり、千恵は着実に大人になっていっている。



おわりに

 ここまで読んでいただいてありがとうございます。
 文脈から大きく外れない範囲で、私が思い付く限りの千恵という人間の性質と事例を盛り込んだので、こんなに長い文章になりました。
 できればそのうち、肉付けを剥ぎ取って骨子だけに編集したショートVer.も作ろうかと思っています。

 しかしその前に、第2章を出します。
 第2章はナツです。『ナツは何が足りないか?』を考えました。
 この第1章の続きに当たりますので、読んでいただければ嬉しいです。

 



脚注(余談)

*1:【身体の成長】
 千恵は同級生の誰と比べても相当身長が低く描かれています。また、足のサイズが18cmもないと言われています(p.69)が、これは6歳児の平均程度です。

*2:【体力】
 人と歩いていてすぐ疲れてしまう描写がp.57とp.90の2回あります。

*3:【集中力】
 授業中に文具で遊んでいるシーン(p.12)と、「いっつも授業中でもチョロチョロしてる」(p.108)という藤岡の発言で、千恵が普段の授業に集中できていないことが分かります。ただ、千恵の学力を考えれば、集中したところで授業内容を理解できないという問題もあるのでしょうけど。p.143の1コマ目は教室の前半分の光景ですが、集中力のない千恵と一人だけ態度の悪そうな男子生徒の席が教卓の真ん前にあり、千恵の逆隣にはクラス委員長の奥島がいて面倒を見ている(p.32)という席順は、担任教師の学級運営の手法としてかなりリアルなものを感じます。

*4:【手先の器用さ】
 靴紐を結べないことに言及されている(p.66)ほか、箸を上手く使えていない描写(p.145)があります。

*5:【父親の存在と母親に関わる時間】
 明言されていませんが、南山家は母子家庭だと思わせる描き方をされています。ゴールデンウィークの過ごし方について千恵が「お母とお姉と行った!  レストラン!」(p.84)と言うように、父親の存在は徹底して言及されません。また、もう1人の主要人物であり、千恵と比べるとまだ経済的余裕のあるナツの家が母子家庭であることも、南山家にも父親がいないことを想像させます。もちろんシングルマザーだからと言って貧困だとは限らないですが、両者に強い相関があるのは統計的事実です。母子家庭の貧困やその他の足りなさは、作者の出世作空が灰色だから』(秋田書店)1巻収録の第3話「空が灰色だから手をつなごう」でもクローズアップされていました。千恵の母がナツの母と違ってセリフすら作中に登場しないのも、「お母さん今日もパートだ  いつ休んでるんだろ」(p.192)と娘に心配されるナツの母よりもさらに忙しく働いていることを思わせます。

*6:【オウム返し】
 「心臓は胸のあたりでしょ  もっと問題の意味を文や図から読み取らないと」(p.19)というナツの発言を、「じんぞうは胸のあたり  もっと問題の意味を文や図から読み取る」と、心臓と腎臓を混同した以外はほぼ完全に繰り返しています。また、その後のテスト中に膀胱の図に注目しすぎてオールキンタマになったのも、「図から読み取る」の部分を覚えていたからだと思われます。

*7:【再現】
  p.37でナツが男子との交際について思うことを語っているセリフを、千恵は翌日の学校で真似しています(p.46)が、再現は断片的で内容を理解していたとは思えません。ここで注意したいのは、ナツが話している時の千恵は真似するつもりで聞いていたわけではないということです。この後に帰宅して志恵と会話して初めて、千恵にはナツを真似する必要が生じます。つまり、理解せず覚えるつもりもなく聞いていた話の単語や言い回しを、後から思い出して再現できたということです。これは千恵が普段からナツの言葉に注意を向け、無意識に記憶していたということを示しています。

*8:【引用元】
羞恥心 ‐ Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%9E%E6%81%A5%E5%BF%83
2019.6/12に参照

*9:【考えたこともなかった】
 第1話冒頭で、千恵が志恵を「彼氏いないくせに─── 彼氏いないくせに───」(p.6)と挑発し、「おめえもだろ!」と返されるシーンもこのことを示しています。失恋を気にしている志恵に対しては『彼氏』を持ち出して攻撃しますが、自分自身が男子と付き合うことは想像の外だったためにこういうことが起こります。同時にこの場面も、千恵に自分を省みる客観習慣が足りないことが分かる好例の1つです。

*10:【言語の未発達】
  幼い子供の言語能力の未熟さについては、作者が本作と一部重なる時期に連載していた『ブラックギャラクシー6』(秋田書店)でも描かれています。第11話「今を次世代に託すシックス」で小学1年生の弥和が語順の混乱した喋り方をし、それを主人公のギドラが「倒置法の使用率がすごいね」(単行本p.58)と形容しています。